


Ψ筆者作 青いバラシリーズより F0~SM 油彩
「何か大事なことを隠しているのではないか?」と言う人は私の周りに何人もいる。蓋を開けたら取り返しのつかない事態になっていたということにもなりかねない。かつて原発反対の陣営側だった労働組合は、労使協調路線への転向を経て、今や現政権を支える「体制派」であり、その政権は「国難」のドサクサまぎれに「大連立」による「総保守翼賛体制」を目論んでいる。今、「御用学者」の存在を含め総てのことを疑ってかかうらなければ身を守ることはできないだろう。
完璧と思える諸諸の論理も施策も所詮は人間の行うことである。天災は必ずその人智を超えたところに発生する。
引き続く余震に福島第二や女川も心もとない。もう一度言う。日本の原発は地震の巣の上にある。日本に原発を作ると言うのは、プロパンガスのボンベに座りタバコを吸うようなものなのだ。大地震はまだ起こるだろう。津波も必ず起こる。原発は他にも多くある。放射性ヨウ素の半減期間は8日だが、セシウムは30年、プルトニウムの一部は実に2万4千年である。その汚染物質の放出が続く限り蓄積はされる。
とにかく先ず「原発をなくせ!」は当たり前の主張だろう。
「旧約聖書」にある、「ソドムとゴモラ」、「ノアの洪水」、「バベルの塔」はいずれも人間の驕り・悪徳を神が戒めるというエピソードである。これらが繰り返し語られ、世界の歴史はその通りになったと言うことに畏敬する。
今なお≪この国の繁栄は原発に支えられている、原発をなくせば経済は大変なことになる「冷静な対応」が必要≫という論調がある。「冷静な対応」とは、あくまで≪豊かな物質文明を維持・享受するこを考えること≫もっと言うなら「金儲け」を優先させることなのだろうか?むしろ人間や環境の根源的なことを腰をすえて考えることであろう。
本邦の原発は「東海村」以来40年余を経て既に老朽化が語られている。今考え直す時期なのだ。石油・石炭は有限である。風力、太陽光、バイオマス、天然ガスその他「代替エネルギー」開発は火急のテーマだろう。
しかししばらくは既成の水力、火力に頼らざるを得ない。いずれにしろ原発のキャパシテーを補完することはできない。どう転んでも電力の計画的使用、節約は不可避であろう。
しかし、それ以前に必要なのは発想の転換である。≪豊かな物質・便利な暮らし・楽しい文化≫を当たり前のよう享受してきたと言う価値観を転換することである。
考えてみると、たった一箇所の原発事故で体制が揺るぐのはその体制が「メタボリック」だからである。その贅肉をそぎ落とせばよい。世界から揶揄された「エコノミックアニマル」、「ワークホリック」、「賎民資本主義」、「土建屋国家」、そして昨今の享楽的生活習慣、その部分を切り捨て「普通」のもどればよい。「先進国」面している必要はないのだ。そうすれば芸術・文化も商業主義に支配されない、本来の直接人間に語りかけるような姿に戻るだろう。
例えば「計画停電」が行われ、節電が叫ばれ、夏に向かって企業への法的規制が施行される。その計画停電だが、人口が密集し、生産、消費活動の中心という配慮から、現に東京23区はほとんど実行されていない。勿論季節、他地域の犠牲、電車の間引き、市民的節電の協力等あるが、現に福島第一原発が稼働していない中東京23区は実施されなくて済んでいるいるのである。このようなことを全国レベルに敷衍していけばよい。
昨今自動販売機など例挙されているが、一々列挙するするつもりはないがもっと本質的なことがあるだろう。
あのWカップサッカーに馬鹿騒ぎし、ディズニーランドや秋葉で遊び惚け、東京タワーのライトアップに喜び、大した用もない携帯をいじくりまくるという集群志向、享楽趣味を駆逐するだけでも相当な節電になるだろう。
TVの終日放映、スポーツのナイター設備、電車ダイヤ、ネオンや電光看板…削減出来るものは数多ある。
因みに火力発電の最大の問題点はCO2の排出にある。しかしCO2は京都議定書でその排出総量で規制されている成分の一つである。したがって、その火力の分を他で規制すればよい。例えば、業務用以外の車対象に「ノーカーデー」を設けるなど、不要不急の車の制限をする。この場合も、ライフスタイルやステータスシンボルとしての車に対する価値観の転換が必要である。
私は携帯も車も持ってない。地デジなどの愚策に対応するTVの買い替えも考えていない。もし「首都総避難」(これは事態の推移、他原発の如何によっては十分考えられるのである)と言う事態になっても、猫たちがいるので残るだろう。ペットも被害者に換算されることはないが大事な命である。
この震災・原発事故は今後の日本に相当なダメージを与えだろう。今はまだ従来の余力によりなんとかなっているが、ある時期から本格的な「震災不況」が来る。企業の生産性にブレーキがかかり物流は滞る。莫大な復興費用かかる。農漁業や雇用も深刻になる。
「将来の電力不足」や「生産性」のためであったはずの原発が「国難」を生んでいるのである。ならば、最初から地道に、計画的に進めばよい。これも発想の転換である。
(つづく)