イメージ 1
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Ψ筆者作 「農園の道」  F15 油彩
 
 私生活ではキリスト教に近づき、一方で剣道に励み、自動二輪で夜の街を疾駆する。 拙宅に来た時もオートバイで、皮ジャンに弁護士バッジをつけた異色な風体であった。
 彼と芸術や政治の話ですれ違う話題はなかった。私がど忘れした「マグダラのマリア」の名前も彼の口から出たし、私の出身校であった「リンチ殺人事件」のことも彼は知っていた。
 彼は自分が司法修習生の時世話になった北陸地方都市にある弁護士事務所に贈ると言うことで拙作を購入してくれた。どんよりした雲が垂れ込めたパリの街の絵だった。「暗いけどいいいのですか?」と聞いたら、自分が過ごした北陸の都市を思い出して好きですと言った。その後もう一点、注文書による購入依頼があった。 彼はその後某地方裁判所の判事となったが、その際も丁寧な就任の挨拶状が届いた。
  何ゆえ彼は大した義理があるとは思えないU氏に紹介された程度の縁で、普通なら避けるような因縁あるところにわざわざ来たのか、そして何故、二点も絵を買ってくれるようなことをしたのか?
 これからは私の推測である。彼は件の私の父親の訴訟事件について十分な対処ができなかったのではないか? 父親から I 氏に対するその種の批判めいた言葉を聞いたことがある。そのことへの何某かの忸怩たる思いが息子たる私への贖罪的行動に出たのではないか。そしてこうも推測する。、もしそうだとすると、その「弁護士義務の懈怠」は、彼の無能や怠惰、損得勘定に起因するものではあるまいと。 
 前述したように、彼は順風満帆で弁護士になったわけではない。学生運動と投獄、生産社会からのドロップアウト、自力による社会的地位の回復、そして離婚。彼から、そうした紆余曲折の中で、翻弄されることなく、人生の真実や自我に係る精神的支柱を求めて生きて来たという雰囲気を瞬時に感じさせられたのである。キリスト教への接近も剣道もオートバイも、その自己啓発、自己確認の手段であったのだろう。当然それは、自我に関し純粋であらねばならない。しかし、あまりの純粋さは生産社会の中では桎梏となる。ドロドロした人間社会の中で成功するのは自らも適当に「俗物」でなければならない。その意味で彼は弁護士に向いていなかったのではないか?しかし、純粋さは弁護士業務の懈怠の言い訳にはならない。その後裁判官への転身は、そういう彼の人格の所以ではないのか?そう思えば私には総てが説明がつくのである。
 その後私はシビアな事実を知ることになる。それは新聞の訃報記事である。裁判所判事 I 氏死去。食道癌。享年48歳。I 氏は自らの早世を予感していたのだろうか?
 私は佐伯祐三ら早世した多くの画家を知る。そのメティエにかけた情熱と純粋さ、真実を希求する自己啓発の壮烈さを知る。それもいっそうそう思わせる所以かもしれない。
 彼らは、戦争や結核で早世が当たり前の時代であればこそ、必死に人間や人生に真実を求め、少ない時間を無駄や悔いなく生きようとする過程で煌くような作品を生んだ。反面、飽食と快楽の、長命が当たり前の時代、俗で愚で無駄な時間の浪費としか思えない人生が多く目につく昨今、「惜しい人を亡くした」などという言葉の空々しい響きは、彼の知性、感受性には当たらない。