Ψ筆者作 「収穫3」 P12 油彩 (画像削除)
  この人のことはどこかで語っておきたかった。
 ある時知人のU氏から「君の絵を買ってくれそうな人がいる。弁護士なんだが、紹介するから今度あってくれ」という話があった。U氏にはかねがね絵を売ってくれたら販売額の半分を支払う旨の軽口程度の話をしていたが思わぬ実現の運びとなった。
 その弁護士は I 氏と言い、私より年は2,3上で当時30台後半の若手弁護士であった。ところがこの I 氏、U氏の紹介のみで現れたわけではなかったと推測する。
 仔細は割愛するが、私の父親というのは、一時期「進歩的文化人」として諸々の社会的運動に関わっていたことがあった。その時同様に関わっていた I 氏と知りあったのである。その父親が、ある時親族がらみの忌まわしい訴訟事件の被告となる。その弁護を依頼したのが I 氏である。この父親、息子の私から見ても問題の多い人間であったが、その意味では本人に帰責するところ多々あった思うが、ともかくその訴訟は負けた。
 一方U氏はこれも財産分与をめぐる親族間の争いがあり、その弁護を依頼したのが I 氏である。もちろん父親とU氏は何の関係もなく、ともに I 氏の介在は全くの偶然であった。
  I  氏はU氏から私の話が出た時、そのあまりない苗字と絵描きということから私がかつて自分が担当した事件の依頼人の息子であることを直感したのだろう。 おそらくそのことを確認したかったこともあろうが、私の絵を買うことにもう一つの意思が働いていたように思う。
 ともかく、私もその名前を聞いてもしやと思ったが、私も父親の不業績とか、好ましからざる人格に触れたくなかったし、彼も過去の経緯を言いたくなかったのであろう、父親の話は互いに一切触れず、U氏にもそのことは言わなかったが、彼がその人であることには確信するものがあった。
 以下はU氏の話や I 氏本人の話からまとめたものである。I 氏は京大全共闘の闘志であった。有名な講堂封鎖をめぐる攻防戦に加わり、公務執行妨害で逮捕、投獄される。彼は10歳年上の大学の事務職員であった人と結婚し後に一子をもうける。しかし、彼はその逮捕歴により生産社会から締め出されることとなる。就職口もない。
 よしそれならばと一念発起、司法試験を受け合格する。この間子供のミルク代以下生活は夫人によって支えられた。ところが、その後弁護士となり生活は安定したはずであろうが、仔細は不明だが彼は夫人から離婚を切り出される。
  (つづく)