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 Ψ筆者作「森の好日」 F30 油彩  未完 (完成作はギャラリーにアップ予定)
 
 「絵に関する能書き」のPART2を新たな気持ちで始めることにした。
 
 最近故あって、本邦近代洋画に関する書物を多数読む機会を得た。そうしたものを読んで感じることがあった。時代で言えば明治後期から昭和の戦争前あたりの時代である。
  件の碌山美術館は、別棟に碌山ゆかりの芸術家たちの作品が収められているが、彼らもまたそうした時代に生きた芸術家たちである。中村屋サロン、下落合アトリエ群、池袋モンパルナス、彼らの作品を目のあたりにすると、時に未成熟で泥臭いが、また彼らの多くが短い生涯であったが、あの不安と混沌に満ちた時代に、懸命に価値を模索する姿、生活の息吹すら感じるのである。つまり、芸術としての価値そのものとはまた違う、そういう意味で語りかけるものがある、作品が生きているのである。
 将来、今の時代の「芸術」にそうした意義を感ずるだろうか?形やスタイルや「社会性」や流行りものにはとてもそういう力はあるまい。では今の時代、どうすればよいか?
 ところで自然はウソがなく美しい。そしてこの世の光の下、そうした自然の中でモティーフを捜しさ迷い歩く。絵を描く自分もウソモハッタリもない。そうした時間が多ければ多いほど人生とは悔いなく意義があるのではないか?これがこの時代に生きた自分である。それだけで十分ではないか。多くはもっともらしい顔をしているがイリュージョンである、あとは作品が失敗しなければよい、…などと考えたりする。