Ψ筆者作「碌山美術館」(現場制作 )F6  アルキド樹脂  ( 油彩作品アップ予定につき画像削除)i
 
 明治後期、大正から戦前の昭和にかけての本邦美術界は、未だその世界が小さかったせいもあるのか、個人やいくつかのグループ間に思いも及ばぬ交流や繋がりがあったり、その活動拠点が特定地域に固まったりしていて実に面白いものがある。
 今日東京の山の手線の、池袋、目白、新宿の、ほぼ隣接する三駅には、本邦美術史に残るような芸術家たちの梁山泊があった。池袋には「池袋モンパルナス」の名で残るアトリエ村、目白は中村彝、佐伯祐三、曾宮一念ら「下落合グループ」、そして新宿にあったのが「中村屋サロン」であり、互いに直接、間接の横断もあった。
 中村屋サロンについては別掲記事を援用する。
 
 
 つまり、そのサロンは相馬愛蔵、黒光の文化・芸術への造詣、支援の下で成り、その最初の中心人物となったのが、愛蔵と同郷だったのが彫刻家荻原守衛(碌山)、この二人の故郷が件の安曇野である。愛蔵夫人黒光は本名良、彼女は宮城出身だが当初安曇野に嫁いだ。
 経緯は省くがその碌山と碌山と交流のあった芸術家の作品を集めたのが碌山美術館である。なお、碌山美術館は上掲拙作や内部写真の教会風建物のほか数棟の建物から成る。
 
 
イメージ 1碌山美術館内部
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 イメージ 2
 
荻原碌山作「女」
  別記事中でも書いたが、この作品の実際のモデは岡田みどり」という女性である。しかしこの作品を見た相馬の子供は「アッ、母さんだ」と叫んだそうである。その他周辺事情からこの作品のイメージ上のモデルは黒光であったというのが広く語られている。このイマジネーションは大事で、私も石神井公園を描いてもモルトフォンテーヌかフォンテンブローをイメージして描いている(^^)
 因みに 「「女」は本邦近代彫刻の傑作として後に重文指定。