勿論、本邦西洋画は造形的には西洋の模倣であり、属地性や民族的資質もそう簡単に棄てきれるものではないのでそれを折衷した「油絵で描く日本画」風の妙なものができても一定に止むを得ないが、問題はそうした中で、如何に西洋の模倣を脱し、旧態依然の日本的因習や価値観を克服し、≪時空を超えた普遍的な芸術に連なるか≫、その「個」の在りようの質であろう。あらためてこうした意味で位置づけられる画家を本邦近代史に探せば誠に僅少と言わざるを得ない。
 例えば青木繁と坂本繁二郎は何かと対比して語られるが、共通点もある。それは前者が「神話」、後者が「能面」など、既に独立した別のジャンルからイメージを借りているということである。神話にしろ能面にしろ既に結論の出た、それ以上の展開が期待されない、他者の創造物である以上、それを裏から見ても逆さまにして振ってみても新たな絵画的価値が現れるはずがない。「救い」はその「公共性」とファジーな「日本趣味」にしかないのである。
 既成の外部の作品にモティーフを求めると言うのは創造者としてのイメージの貧困、堕落といってよい。青木繁の「海の幸」という作品は彼が唯一、福田たねらとの「布良紀行」の中で、まばゆいばかりのこの世の光に晒された、自身の人生、現実に取材した、造形的にも表現的にも「個」が前面にでた、従来の本邦近代洋画にはなかったと思える名作である。しかし青木は、乾坤一擲を狙った「わだつみのいろこのみや」の不評から始まり、その後の文展等の落選の連続によりは凋落していく。それは神話に頼った創造者としての未熟さと関連している。その意味で彼は天才は天才でも「未完の天才」と言える。
 一方坂本は夭折の青木に比べ87歳まで生き、その画業は前述の日本的ヒエラルキーの中で「幽玄美の巨匠」として頂点を極める。しかしこの「幽玄」が曲者である。他の芸術分野においても「もののあわれ」、「枯淡」、「無常」、「わびさび」など本邦独自の価値体系はあるが、これらは実はその存在を証明することができないもの。一体それらは何処に存在するかと言えば日本人の心情の中に「約束事」として極めてファジーに存在しているに過ぎない。それは何処か勿体ぶった、しんねりむっつりして、思わせぶりで胡散臭く、そのくせ時に宗教的信仰に似た、押し付けがましい、はなもちならない権威主義に繋がったりする。
 ところで「芸術は技術ではない内容だ」と言うのはよく聞く言葉であるが、これは当たり前の話で、しかし内容ある芸術とは相応の技術を以ってせずして表出することはできない。芸術とは、「ものは言いよう」でそうであったりなかったり、先の約束事や「信仰」そのものではない。視覚的に明晰であり、触覚感があり、創造者の葛藤の軌跡やエネルギーを直接感じさせるものであるべきで、「有り難がる」必要など全くない。西洋の、キリスト教に取材したものが美術史上に残るのは、卓抜した技術があったればこそ、その技術に圧倒され逆に純粋なイメージを喚起させられるのである。
 技術がないのに「自由」だ「個性」だ「感性」だとのファジーな概念だけで芸術の価値を主張するは、ごまかしであり、それでは先に述べた真の「個」の主張もできない。これと同じく、幽玄を語るなら厳しい造形性でその「実在」を伝えなければならない。そんなものが借り物イメージの能面や野原の「物思う一匹の牛」ぐらいで叶うはずがない。作品の背後に「芸術である」ことの思わせぶりな饒舌、能書きが見え隠れ、それがペダンティック(衒学的)な虚栄心を擽りながら成立するという芸術は他にもある。「ヘタも絵のうち」とか「本能」とか「美に生きる」とか言いながら、誠に「ド下手」なふざけた絵を「有り難がたがららせてる」御仁たちいたが、あんなものが世界で通用すると思ったら大間違いである。
 要するに青木も坂本も、イメージを既存の日本的概念に頼り、造形性も半端だったので、如何に西洋画の素材をもってしても、「日本」を越えて普遍的な絵画芸術としての価値に結びつくことはできなかったと思えるのである。