何某かの思想を表明するに当り、それが論理性を欠く趣味的な「スローガン主義」であったり、場当り的なタテマエ論であったり、あるいはその「思想」を表明する当人の、寄って立つ諸々の根拠がご都合主義やはじめから不存在であったりした場合、その浮ついた言葉だけに付き合わされるということほど空しいものはない。
さて松本清張と言う作家は自ら創造者であったが、その意味での鋭敏な思想家、論述家であった。彼は「青木繁と坂本繁二郎」という絵画に関する著述もありその方面にも造詣があったが、一般の評論・学術畑のそれが、何某かの利害関係とか「業界」への配慮もあってか、「人畜無害」の「評判記」が多いのに比し、彼はその意味で部外者でもあり、古代史から社会思想に至るまでの広範な知識とそれをベースとした確固たる思想の持ち主だったので、しばし刮目されるような記述に出会うことがある。
例えば仔細は省くが、前記著作において彼は、青木繁の伝えられいるよう「浪漫主義」の実体とは誠に悲惨なものであり、その神話に取材した作品の図像学上のいい加減さ、福田たねとの関係における青木の人格的魔性にまで触れている。また坂本については青木コンプレックスは生涯付き纏い、その「幽玄」の画境の胡散臭さや、青木作の能面のデッサンの秘匿の「パクリ隠し」さえ匂わせている。これは単なる推理作家としての彼の資質によるのみではなく、史実と資料を十分根拠にしているからこれを正面から否定するのは相当困難であろう。
その彼の美術的造詣と生来の社会性を併せ持つエピソードがある。確かNHKか何かの番組であったと思うが、彼が日展のボス連に対して「日展の壁面が傘下の団体関係者だけで占められているというのはおかしいのではないか?」と言う趣旨の問いかけをしたことがある。これに対し、ボスの一人で後年芸術院会員になる田村一夫が「日展に出品している人はみんな(結果的に)どこかの団体に属している」と答えた。
しかしこれはおかしい。それなら「公募」は名乗れないはずである。もし入選する見込みがない人から出品料を取るためだけに「公募」を名乗ったらこれは「詐欺」であろう。清張にそれ以上の知識はなかったのか話はそれで終わったが、これはもっと究明されるべき問題だろう。
因みにその田村が別番組で日展の「特選」審査の模様を紹介している番組で「ウチ(光風会)は遠慮します」と発言しているのを見たことがある。良い作品なら遠慮もヘッタクレもないはずだが、そういうことが全く違う次元で処理されているのを垣間見た思いがする。
さて青木繁に話をもどせばその青木・坂本評伝の業績を残したのが河北倫明である。河北は福岡の明善中学で青木の後輩に当り、数多の評伝はその縁もあったのであろう。その後評論界でボス的存在となった河北は安井賞展などで審査する立場になったが、「佐伯贋作事件」で発端となった三十数点を見抜けることができず、騒動の元を作ったのも彼である。
いずれにしろ、本邦美術界には清張的視点を持たなければならないようである。
さて松本清張と言う作家は自ら創造者であったが、その意味での鋭敏な思想家、論述家であった。彼は「青木繁と坂本繁二郎」という絵画に関する著述もありその方面にも造詣があったが、一般の評論・学術畑のそれが、何某かの利害関係とか「業界」への配慮もあってか、「人畜無害」の「評判記」が多いのに比し、彼はその意味で部外者でもあり、古代史から社会思想に至るまでの広範な知識とそれをベースとした確固たる思想の持ち主だったので、しばし刮目されるような記述に出会うことがある。
例えば仔細は省くが、前記著作において彼は、青木繁の伝えられいるよう「浪漫主義」の実体とは誠に悲惨なものであり、その神話に取材した作品の図像学上のいい加減さ、福田たねとの関係における青木の人格的魔性にまで触れている。また坂本については青木コンプレックスは生涯付き纏い、その「幽玄」の画境の胡散臭さや、青木作の能面のデッサンの秘匿の「パクリ隠し」さえ匂わせている。これは単なる推理作家としての彼の資質によるのみではなく、史実と資料を十分根拠にしているからこれを正面から否定するのは相当困難であろう。
その彼の美術的造詣と生来の社会性を併せ持つエピソードがある。確かNHKか何かの番組であったと思うが、彼が日展のボス連に対して「日展の壁面が傘下の団体関係者だけで占められているというのはおかしいのではないか?」と言う趣旨の問いかけをしたことがある。これに対し、ボスの一人で後年芸術院会員になる田村一夫が「日展に出品している人はみんな(結果的に)どこかの団体に属している」と答えた。
しかしこれはおかしい。それなら「公募」は名乗れないはずである。もし入選する見込みがない人から出品料を取るためだけに「公募」を名乗ったらこれは「詐欺」であろう。清張にそれ以上の知識はなかったのか話はそれで終わったが、これはもっと究明されるべき問題だろう。
因みにその田村が別番組で日展の「特選」審査の模様を紹介している番組で「ウチ(光風会)は遠慮します」と発言しているのを見たことがある。良い作品なら遠慮もヘッタクレもないはずだが、そういうことが全く違う次元で処理されているのを垣間見た思いがする。
さて青木繁に話をもどせばその青木・坂本評伝の業績を残したのが河北倫明である。河北は福岡の明善中学で青木の後輩に当り、数多の評伝はその縁もあったのであろう。その後評論界でボス的存在となった河北は安井賞展などで審査する立場になったが、「佐伯贋作事件」で発端となった三十数点を見抜けることができず、騒動の元を作ったのも彼である。
いずれにしろ、本邦美術界には清張的視点を持たなければならないようである。