whiteorion氏
「この問題は基礎的鍛錬については必要であるという立場がまず前提であることは間違いないでしょう。その上でのお話だと思います。画家はその時代に生きる画家よりも一番上と考えるのは皆一緒かもしれません。
佐伯に及ぼしたブラマンクの怒号は彼の信念からでたものでしょう。
里見のブラマンク評をしばらく書いてみます。
ブラマンクには三期に分かつべき表現の変化がある。
野獣派時代1900年~1907年
セザニアン時代1908年~1919年
完成期1920年~1958年
1901年ごっこ回顧展を見たブラマンクは大変感激し、この会場でドランにマチスを紹介されたとき、「我々は生の朱や緑、コバルトで描かねばならぬ!」と叫んだ。時にマチス32才、ブラマンク25才、ドラン20才である。1905年の秋ブラマンクはサロン・ドートンヌに5点出展した。サロンでは同傾向の絵が一室に集められて、喧々諤々たる世評を起した。-驚異的ーいかなる絵画とも関係ないー奇形の難色ー乱痴気騒ぎー花火ー6歳の子供の絵ー人を愚弄するードランとブラマンクは黄、青、橙等の恐ろしい厚塗りーラッパ銃に絵具を詰めて画布に発射したー気違いか道化か・・・・。人々はついにこの一群を野獣派と名づけて嘲笑した。1906年セザンヌは永眠。精鋭多感なフォービストたちは連年発表されたセザンヌに強く刺激されて、セザニウムに入る。
1918年終戦。ブラマンクは翌年バルモンとに新居を構えた。そした新写実主義が到来した。修行時代をパリで過ごすのも一方法だ。しかし自分の絵を描かねばならぬときには、パリから去り、田舎に住まって仕事をせねばならぬ。フランスの偉大な画家は皆田舎で真実の仕事をした。田舎にただ一人で仕事をするためには、強固な精神と、卓越した技量を持たねばならないが、なお自分ひとりと、パリの多くの奴らと喧嘩しても、負けないゲンコツを持つ必要がある。」
「かって私(里見)が絵画の法則と構図に関して質問したとき、ブラマンクは答えた。「絵は本能に従って感動を描くのだ。絵は科学を持って立証する必要はない。構図?それにこだわる必要はない。その絵に必要なものを、そのあるべき位置に置き、不必要なものは全部省略するだけだ。」彼は私にこれだけしか構図の説明をあたえなかったが、彼の画面は常に最も簡潔な美しい、しかし驚くべく自由な構図を持っている。それは彼の本能と趣味が、自ら彼の画面を支配するのである。」
「花瓶と白布は同じ物質か?地上に落ちた花瓶は、音をたてて壊れなければならない。白布の落ちるの音は軽い。机を打てば気の音がしなければならない。それを描いてこそ絵なのだ。
ー黒にしても、他の青、黄、緑・・・全ての色彩に関しても核物質固有色があって、一つとして同一のものはない。また絵を生かすためには、画面のいかなる部分の一寸四角の中でも、全部変化していかねばならない。そでなければ、その部分は固定して死んでしまう。 」
「印象派の画家は、太陽の光線が物体の表面を彩るアラベスクを、四角に映ずるままに描くことに成功したが、案外平凡であった。しかも絵画史上に一小時代を隠したに過ぎなかった。本来絵画の使命は、視覚による自然の模写でなく、感動の表現にあった。そして写実とは太陽光線によるかりそめの色彩でなく、物質固有色を持って、「ものの実在と生命」を描くことである。」
「この問題は基礎的鍛錬については必要であるという立場がまず前提であることは間違いないでしょう。その上でのお話だと思います。画家はその時代に生きる画家よりも一番上と考えるのは皆一緒かもしれません。
佐伯に及ぼしたブラマンクの怒号は彼の信念からでたものでしょう。
里見のブラマンク評をしばらく書いてみます。
ブラマンクには三期に分かつべき表現の変化がある。
野獣派時代1900年~1907年
セザニアン時代1908年~1919年
完成期1920年~1958年
1901年ごっこ回顧展を見たブラマンクは大変感激し、この会場でドランにマチスを紹介されたとき、「我々は生の朱や緑、コバルトで描かねばならぬ!」と叫んだ。時にマチス32才、ブラマンク25才、ドラン20才である。1905年の秋ブラマンクはサロン・ドートンヌに5点出展した。サロンでは同傾向の絵が一室に集められて、喧々諤々たる世評を起した。-驚異的ーいかなる絵画とも関係ないー奇形の難色ー乱痴気騒ぎー花火ー6歳の子供の絵ー人を愚弄するードランとブラマンクは黄、青、橙等の恐ろしい厚塗りーラッパ銃に絵具を詰めて画布に発射したー気違いか道化か・・・・。人々はついにこの一群を野獣派と名づけて嘲笑した。1906年セザンヌは永眠。精鋭多感なフォービストたちは連年発表されたセザンヌに強く刺激されて、セザニウムに入る。
1918年終戦。ブラマンクは翌年バルモンとに新居を構えた。そした新写実主義が到来した。修行時代をパリで過ごすのも一方法だ。しかし自分の絵を描かねばならぬときには、パリから去り、田舎に住まって仕事をせねばならぬ。フランスの偉大な画家は皆田舎で真実の仕事をした。田舎にただ一人で仕事をするためには、強固な精神と、卓越した技量を持たねばならないが、なお自分ひとりと、パリの多くの奴らと喧嘩しても、負けないゲンコツを持つ必要がある。」
「かって私(里見)が絵画の法則と構図に関して質問したとき、ブラマンクは答えた。「絵は本能に従って感動を描くのだ。絵は科学を持って立証する必要はない。構図?それにこだわる必要はない。その絵に必要なものを、そのあるべき位置に置き、不必要なものは全部省略するだけだ。」彼は私にこれだけしか構図の説明をあたえなかったが、彼の画面は常に最も簡潔な美しい、しかし驚くべく自由な構図を持っている。それは彼の本能と趣味が、自ら彼の画面を支配するのである。」
「花瓶と白布は同じ物質か?地上に落ちた花瓶は、音をたてて壊れなければならない。白布の落ちるの音は軽い。机を打てば気の音がしなければならない。それを描いてこそ絵なのだ。
ー黒にしても、他の青、黄、緑・・・全ての色彩に関しても核物質固有色があって、一つとして同一のものはない。また絵を生かすためには、画面のいかなる部分の一寸四角の中でも、全部変化していかねばならない。そでなければ、その部分は固定して死んでしまう。 」
「印象派の画家は、太陽の光線が物体の表面を彩るアラベスクを、四角に映ずるままに描くことに成功したが、案外平凡であった。しかも絵画史上に一小時代を隠したに過ぎなかった。本来絵画の使命は、視覚による自然の模写でなく、感動の表現にあった。そして写実とは太陽光線によるかりそめの色彩でなく、物質固有色を持って、「ものの実在と生命」を描くことである。」