石神井川と道路が交差するところに、いつもお世話になっているペット医院がある。其処にかなりの樹齢の桜の木があった。その古木の品位や姿は、区の「名木」に指定されてもよさそうなものであった。「靖国」の特定の桜が東京の「開花宣言」の目安になっているのなら、その桜は地域住民の同様な目安になっていたのである。
川に大きく張り出した枝にポツリ々と蕾が突き出す風情に、ああ、もう春が来たねと、キャリーボックス内のネコの語りかけたり、そろそろ恒例の同級生との花見の季節だなと思ったりしたものだである。
ところがなんと、その桜の木が無かった!道路の拡幅だか橋の架け替えだか知らないが、とてもその必要性も必然性も無いとしか思えない工事のために切り倒されたそうである。当該獣医はじめ、付近の住民は署名を集め反対運動をしたが、石原都政は伐採を強行した。
あの、東海道五十三次の起点、「お江戸日本橋」を、真上に高速を走らせ、日陰の長物化してしまった政治家、役人の土建屋国家的センスには呆れたが、さすがに最近これを見直す動きもあるそうだが、伐採等取り返しのつかないものもある。
姿美しく、古く、生活とも密着しているものを、何の躊躇も無く、除去したり台無しにしたりできるその神経は人の脳髄を持たぬハゲタカ、ハイエナ、ダボハゼレベル!
美しい自然や人間、動植物の生命、それらはまさに文化の「モティーフ」そのものであろう。それがこの国では常に、人間の利便や身勝手、生産性、機能性に劣後される。これは「文化後進国」の証左である。そういう人間も同様である。
いやしくも文化に連なる者は、そのあきれ果てた価値観を排除しなければならない。似非愛国心や市民的事なかれ主義、「総論賛成各論反対」などを含めてである。
川に大きく張り出した枝にポツリ々と蕾が突き出す風情に、ああ、もう春が来たねと、キャリーボックス内のネコの語りかけたり、そろそろ恒例の同級生との花見の季節だなと思ったりしたものだである。
ところがなんと、その桜の木が無かった!道路の拡幅だか橋の架け替えだか知らないが、とてもその必要性も必然性も無いとしか思えない工事のために切り倒されたそうである。当該獣医はじめ、付近の住民は署名を集め反対運動をしたが、石原都政は伐採を強行した。
あの、東海道五十三次の起点、「お江戸日本橋」を、真上に高速を走らせ、日陰の長物化してしまった政治家、役人の土建屋国家的センスには呆れたが、さすがに最近これを見直す動きもあるそうだが、伐採等取り返しのつかないものもある。
姿美しく、古く、生活とも密着しているものを、何の躊躇も無く、除去したり台無しにしたりできるその神経は人の脳髄を持たぬハゲタカ、ハイエナ、ダボハゼレベル!
美しい自然や人間、動植物の生命、それらはまさに文化の「モティーフ」そのものであろう。それがこの国では常に、人間の利便や身勝手、生産性、機能性に劣後される。これは「文化後進国」の証左である。そういう人間も同様である。
いやしくも文化に連なる者は、そのあきれ果てた価値観を排除しなければならない。似非愛国心や市民的事なかれ主義、「総論賛成各論反対」などを含めてである。