「りんご一つまともに描けないのに…(能書きだけ垂れてる奴が多すぎる)」これは再三引用する、私が研究所へ通っていた時に某美大の教授をしていた某画家の言葉だ。その言葉が常に頭から離れることはなかった。まさに「三つ子の魂百まで」というところだろうか。
 その後行くことになる「美術史学科」というところも決して安穏な世界ではなかったが、研究所の厳しさというのはその比ではなかった。それまでの「絵の好きな、絵のウマイ子」程度の評価ぐらいを足がかりに、右も左もわからないまま、造形の世界に飛び込んだコドモの目には、まさにそこは驚天動地の世界、それまでの価値観や概念や多少の自尊心など粉々に打ち砕かれ、一つの歴史ある「メティエ」に連なる入り口とはかくも厳しいものかとの畏怖の念すら感じるものであった。

 先ず、みんなそれまで見たことないような絵を描いていた。それにウマイ!自分でも多少自信のある作品が合評会では「まだこんなもの描いてんの!」とコキ降ろされる。スタートの遅さを思い知る。造形を知らないから先へ進めない。自信をなくす。その繰り返しがしばらく続いた。事実自分は「りんごぐらいは描けるさ」と思い、迂闊にも件の画家の言葉を笑いながら聞いていたが、その後クールベの「リンゴとザクロ」という絵を見た時は、まさに「まともに描けていなかった」ことに気づかされたのである。それまで自分が漠然と抱いていた「才能」とか「創造」とか「個性」などというのは、遥かに先の話、まさにそれを語るに10年早い世界であった。なまじそんな研究所へ来たために折角好きだった絵が嫌いになり、あるいは自我の限界を悟り絵画の世界から離れていった者も少なからずいた。
 さすれば、そうしたことの「怖ろしさ」を敢えて避けるため造形修行を真正面から捉えないで、自分の殻やファジーな概念に逃げ込むという心情もわからないではないが。

 冒頭のフレーズは研究所という場所を考えると、取り敢えずは研究生相手にストレートにアカデミックな意味で言ったのであろうが、その画家の心情とは、それだけにとどまるものではなく、流行や形やスタイルから入るような美術界全般への憤りを込めたものであったとは想像に難くない。
 事実今もこのフレーズの広義な意味を随所で感じることは多いのである。

 絵画芸術には絵画芸術としての価値体系がある。勿論それは一つではない。無限といってよいが、その無限は想像し得ない可能性という意味で無限であり、既に打ち立てられたものも含め確実にある。その何某かの価値体系は絵画芸術という共通の「土俵」の上に於いて初めて語られる。つまり先ずその土俵を敢えて受け入れるなければならない。それそのものが「芸術としての妙味」なのである。
 例えば、森羅万象について言いたいことを何万字使ってもよいということになれば、それは「名作」はあるにしてもただの「散文」である。これを5.7.5というミクロコスモスの規制ある世界に敢えて飛び込むことによって初めて「俳句」という芸術が生まれる。「季語」もその要件だ。
 芸術とは「ものは言いよう」でそうであったりなかったりするものではない。決して野放図なものではない。何でもありというのは何もないということに他ならない。

 古典絵画は厳格なアカデミズムを背景に成り立っている。これを否定するだけならアホでもできること。もしこのアカデミズムを否定するならそれに代位するだけの価値体系を示さなければならない。事実古典派から現代絵画に至るまで、それぞれ前時代までの価値体系に代位する新しい価値体系を示しながら美術史は進んできたのである。一体あの卓抜した技術の、優雅で気品溢れる凄みさえある古典絵画を克服するには、対抗できるだけの価値体系にどれだけのものが求められるか?考えただけでもそのエネルギーは半端なものではない。
 「表現の自由」、「個性」、「感性」、「新しさ」…等を口にするものは多い。しかしそのどれほどが古典絵画の示したの価値レベルに対峙し得るものであるか?件の画家の言葉とはそうしたものを含めての、自らの厳しい造形姿勢を示したものであろうことは間違いない。
(つづく)