「事件」が起きたのは、1905年の、先に「南オセチア自治州」をめぐるロシア・グルジア間の紛争で話題となったグルジアの首都トビリシと言われる。ピロスマニはグルジアのミルザアニと言う小さな村に1862年に生まれているので、御歳既に43歳、少なくても「若者」ではない。それから13年後に彼は生涯を終える。
 「事件」まで彼は生活の糧を得るための生業をいろいろやっていたが、「バラ」で全財産を放棄し無一文となったが、結果として、それが画業への専念に繋がり、画家としての実績を残すこととなったそうだ。しかも彼は一生独身ですごした。そういうことから、絵を描くために「しがらみ」となりうるものを自ら排除したかったのではないかという解釈もある。
 もしそうだとしたら、「バラ事件」とは、自らけじめをつけるために、女優への慕情もあったろうが、どうせやるならかっこいいことやろうとの、やけくそ半分のものであったかもしれない。だとしたら主たるテーマの実体は相変わらずの「芸術と生活」のジレンマであり、歌の世界で取り上げられるような甘い恋物語ではない。
 ところで日本で今やったらどうなるか?気障な奴?売名?いや、おっさんのストーカーと言われるかもしれない。全くロマンがないね!この国は!自分もできないだろう。猫が6匹いるし…。