Ψ上より コロー作「牧歌的な踊り」模写に使ったパレット上絵具
     同 筆者模写 コロー作「牧歌的な踊り」(未完 )油彩 F30
     同 原作写真
     同じ絵具を使った筆者作オリジナル「森シリーズ」(未完) 油彩 F30
(重複につき画像削除)

 ≪ 「ブタが空を飛ぶようなもの」が「個性」なのではない。チューブから出したての原色が綺麗な色彩なのではない。わけの分からないフォルムの組み合わせがイマジネーションをそそるのではない。意味ありげな表情やポーズをとらせ、それらしい画題をつければ「芸術的」になるわけではない。そんな単純なものなら苦労はない。≫
とは別項で書いた記事の一説。
 時系列的に逆の表現にになるが、古典系絵画の醍醐味とは、印象派以降の造形的価値体系ではことごとく否定されそうなもの、即ち無彩色のトーンで繋いだ固有色、厳格なフォルム、物質的リアリティー、理知的な構成等を敢えて導入しながら、それでなおかつそうした価値体系をカバーして余りある作品となっているというところにある。つまり、そういうものでありながら「暗さ」、「硬さ」、「つまらなさ」、「活気のなさ」等を感じさせないのである。
 実を言うとそういう「パラドックス」的妙味が芸術の真髄ではないかと思う。古典系絵画だからといってその抜群の技巧や物語性を論じて終わりというのはその価値の半分しか読み取ってないと言ってよい。同様にメッセージの直接性にしか眼が向かないというのは真に絵を見る目がないということだろう。
 昔から上掲したような色彩ばかりを使ってきた。好きなんだから仕方がない。しかし人には勧めない。