つまり、色面塗りと線描は一体なのです。言い換えると色面が佐伯、線描が米子の「南画の線」などということはありえない。証拠もあります。引かれた線が微妙に下層の乾いてない色面を動かし引き込む形で引かれている。これはその二つの造形行為が時間差なくほぼ同時に行われていたことを示しています。
 もっと詳しくお話します。
 例えば白い色面に黒い文字で「hotel orion」と描くとします。これを普通にすれば乾いてないので黒い文字らしきものは最初の一筆、二筆程度で、あとは混ざりグレイに濁り、最後の方は絵具もつかず、細い筆跡の凹凸しか残りません。
 ところが佐伯の画法は下が乾いてなくても、最後までhotel orionがほぼ描けます。勿論文字は造形的効果があればよく、つづりの判読までは必要ない。こうした線描を佐伯は文字だけでなく、壁、道路、広告塔、窓、窓の桟、点景人物…すべてにやった。だから「早描き」ができたのです。
 こうした技法は「一人でも出来る」のではなく、造形的意義から「一人でしか出来ない」と言ったほうがよい。
 私もorionさんの目の前でやりましたし、orionさんもできるようになりその造形性の幅を広げています。佐伯も友人たちに伝授し、荻須高徳らがそうしたものを残しています。これは客観的に明らかなことです。「杉浦説」の分離画法とか、米子の加筆はその意味ではありえません。
 即ち真贋事件や落合論文に描かれているような「草」説等は全く別次元の話であり、佐伯の造形性に関与できるものではないというのが私の一貫した見解です。