Ψ筆者作油彩制作途上作品 上よりF20、P10,F30、F10(画像削除)


 その神秘的とも思える色彩と詩情性に憑かれ、いつか自分の造形に生かしたいとの思いからコローを師と仰ぎ、その秘密の究明にあい努めてきた。
 その色彩については早くから、少なくてもパッレト上では出せるようになり、自分自身の風景画ではそれなりに展開できたが、前述のような「コローの世界」の掌握と言う意味ではまだなお相当の距離を感じていた。
 
 先ずコローの風景画の価値とは以下に集約される。

≪周辺を引きずるような圧倒的な静寂と詩情性、すなわち環境への支配力。人間が普遍的に持つ、特定の色彩(コローの場合いうまでもなく「緑」である)についての好ましい色彩感覚を巧妙に擽るその技巧、それらを厳格な写実でなく、しかし印象派的奔放さに至らず、伸びやかな余裕をもった筆づかいを以って為した。≫

 ただし欠点もある。

≪「モルトフォンテーヌの思い出」や「牧歌的な踊り」、ヴィルタブレーシリーズのような希代の名作もあるが、凡庸なあるいは手抜きの作品もあり出来不出来の落差が大きい、これは我が画友orion氏も指摘。ただこれは色彩や「絵作り」に頼れない、「オール オア ナッシング」の古典主義絵画の宿命でもある。
 またこれは欠点ではないが、コローは必ずといってよいほど、ニンフのような、村娘のような、あるいは女神のような女性や村人を単独、あるいは群像で配している。これは雰囲気作りには効果的で、その限りでは「風景画」というより「情景画」と言った方がよいが、仮にそれらの人物を取り除いた場合、「風景画」としての独立した造形性は後退する。≫

  いずれにしろその静謐さ優雅さ気品の秘密は、いくつかの技法を具体的に分析した結果かある程度解明できたが、それは理屈では分かっていたが、実際の絵画空間の中で生きた表現として展開させると言うのは至難なことであった。
 ところで過日の「美の巨人たち」の番組中「コローの技法を知りたかったら森へ行け!」と言う言葉があった。今般whiteorionさんのお誘いにより近くの公園に取材に行ったが、今その言葉を実感している。
 今までとは違った手応えを感じている。きっかけを作ってくれたorionさんに感謝!

 これらから敢えて人物を配さない、独立した「風景画」としての価値を追求していきたい。