本日次回展についてギャラリーオーナーと初協議をした。日程は12月13日(土)より10日間と決まった。またオープニング・パーティーの内容や会期中の挿入催事もほぼ確定。
今回の名称を「第二回武蔵野バルビゾン会展」とするか「第二回武蔵野在住作家絵画展」とするかは出品委嘱と関連してが問題となったが以下の趣旨により「バルビゾン…」として行うに傾いた。
「バルビゾン」は既に一回展を行い、ブログ、HPその他でその周知活動を行い、既にスタートしたものであるし、単に「在住」と言う共通項のみの受身のものに留まらない、「武蔵野を新たな文化・芸術圏にせん」という主体的な志を表す「会派」であり、ギャラリーの当初のコンセプトでもあるのでその名称の下に展覧会を行うのは意義があり、特に無所属作家については何も冠さないものよりは活動履歴となろう。とりわけ、数多ある会派の中で、発表拠点たる自前のかつ立派なギャラリーを持つものはほとんどないと言う状況の中、地域名を冠した、会としての催事を行うのは作家、ギャラリーの双方のメリットに適うものであると考えられる。
一方、「バルビゾン」については、その名称が、特定の絵画傾向に拘束されるようなイメージを持たれるとの由から、一部にその使用に反対意見があり、そういう出品作家への配慮もあって、二回目展の名称を「在住作家…」とした経緯もあり、したがって「バルビゾン」でやる場合はその反対意見を述べた作家の参加は望めないし、出品委嘱作家からは除外することになるが、「年一回」催事を原則とするなら次回「武蔵野」への参加は担保されている。因みに会は美術史上の「バルビゾン派」のような作品傾向に限定されるものではないと言うことは言うまでもない。
次に参加員数であるが、一定の数を備えたコーナーごとの展示効果を考えると、若干の新規委嘱があったとした場合、それを加え、かつ出品見込み点数の多寡、号数の大小等を考慮しても、前回の「武蔵野…」の15名よりは減員となる見込み。
その減員についてだが、前回搬入出日以外はほとんど会場に来なかった作家がいた。グループ展というのは、彼方まかせの展示しっ放しというのではなく、互いのコミニュケーションを含め、会やグループ展の意義への認識や接客や会場管理等に至るまでどれほど当事者意識が持てるかと言うことは重要な参加要件である。
とりわけ会場の無償提供はもとより、美術誌広告掲載費用、案内状費用、オープニングパテイー費用等総て主催者の出捐によるものであり、そうしたことに伴う事務的手間や調整作業も当然には個別の出品者にも按分されているわけではない。作品販売の際のマージンも一切無しである。
そのような事情にある中、そうした要件を満たしえない者、あるいは、止むを得ない事情の存否を問わず、何某かの協力が期待出来ない者、その他グループ展の性格に適当でない者等は限られた壁面事情もあり出品委嘱はしない。
次に内容であるが、前回「武蔵野…」は実績あるベテラン作家が揃ったせいか、内容的には一定レベルにあった。しかし反面、団体展的傾向、専門性、芸術性等が色濃く、一般的には「分からない」と言う風に映る絵が多かったようだ。これはその評価、嗜好の問題はともかく、誰にでも分かりやすい絵のコーナーにくるとホッとするという声を幾つか聞いたのも事実で、客の入りに関わりなくその存在が保証されているような公共施設ならいざ知らず、集客実績を積むことはギャラリーの存亡に関わるである。コンテンポラリーアート専門ギャラリーがそのコンセプトが先行させる余り閑古鳥がないて元も子もなくなったと言う話はよく聞く。かといって「何でもあり」もそういう意味では逆効果なので、かねてより≪具象、平面、洋画≫を原則としたが、次回以降これに「日本画」を加えた。
いずれにしろ、そういう意味では「展」にもっと新鮮さや「大衆性」が求められる。相応の水準にある、風景画、人物画、静物画等の、「創る絵」ではなく「描く絵」を増やしたいと言うのが正直なところ。
なお情宣活動については今回も「月刊美術」へ掲載申し込みの予定だが、その体裁や掲載回数について前回並みとするか未定。それとやる以上は当然市場性に繋がるものたらんとは出品者全員の偽らざるところであるろう。案内状送付など、市場への情宣活動も前向きに考慮したい。
いずれにしろ当面は作家の選定が大きなテーマとなる。
今回の名称を「第二回武蔵野バルビゾン会展」とするか「第二回武蔵野在住作家絵画展」とするかは出品委嘱と関連してが問題となったが以下の趣旨により「バルビゾン…」として行うに傾いた。
「バルビゾン」は既に一回展を行い、ブログ、HPその他でその周知活動を行い、既にスタートしたものであるし、単に「在住」と言う共通項のみの受身のものに留まらない、「武蔵野を新たな文化・芸術圏にせん」という主体的な志を表す「会派」であり、ギャラリーの当初のコンセプトでもあるのでその名称の下に展覧会を行うのは意義があり、特に無所属作家については何も冠さないものよりは活動履歴となろう。とりわけ、数多ある会派の中で、発表拠点たる自前のかつ立派なギャラリーを持つものはほとんどないと言う状況の中、地域名を冠した、会としての催事を行うのは作家、ギャラリーの双方のメリットに適うものであると考えられる。
一方、「バルビゾン」については、その名称が、特定の絵画傾向に拘束されるようなイメージを持たれるとの由から、一部にその使用に反対意見があり、そういう出品作家への配慮もあって、二回目展の名称を「在住作家…」とした経緯もあり、したがって「バルビゾン」でやる場合はその反対意見を述べた作家の参加は望めないし、出品委嘱作家からは除外することになるが、「年一回」催事を原則とするなら次回「武蔵野」への参加は担保されている。因みに会は美術史上の「バルビゾン派」のような作品傾向に限定されるものではないと言うことは言うまでもない。
次に参加員数であるが、一定の数を備えたコーナーごとの展示効果を考えると、若干の新規委嘱があったとした場合、それを加え、かつ出品見込み点数の多寡、号数の大小等を考慮しても、前回の「武蔵野…」の15名よりは減員となる見込み。
その減員についてだが、前回搬入出日以外はほとんど会場に来なかった作家がいた。グループ展というのは、彼方まかせの展示しっ放しというのではなく、互いのコミニュケーションを含め、会やグループ展の意義への認識や接客や会場管理等に至るまでどれほど当事者意識が持てるかと言うことは重要な参加要件である。
とりわけ会場の無償提供はもとより、美術誌広告掲載費用、案内状費用、オープニングパテイー費用等総て主催者の出捐によるものであり、そうしたことに伴う事務的手間や調整作業も当然には個別の出品者にも按分されているわけではない。作品販売の際のマージンも一切無しである。
そのような事情にある中、そうした要件を満たしえない者、あるいは、止むを得ない事情の存否を問わず、何某かの協力が期待出来ない者、その他グループ展の性格に適当でない者等は限られた壁面事情もあり出品委嘱はしない。
次に内容であるが、前回「武蔵野…」は実績あるベテラン作家が揃ったせいか、内容的には一定レベルにあった。しかし反面、団体展的傾向、専門性、芸術性等が色濃く、一般的には「分からない」と言う風に映る絵が多かったようだ。これはその評価、嗜好の問題はともかく、誰にでも分かりやすい絵のコーナーにくるとホッとするという声を幾つか聞いたのも事実で、客の入りに関わりなくその存在が保証されているような公共施設ならいざ知らず、集客実績を積むことはギャラリーの存亡に関わるである。コンテンポラリーアート専門ギャラリーがそのコンセプトが先行させる余り閑古鳥がないて元も子もなくなったと言う話はよく聞く。かといって「何でもあり」もそういう意味では逆効果なので、かねてより≪具象、平面、洋画≫を原則としたが、次回以降これに「日本画」を加えた。
いずれにしろ、そういう意味では「展」にもっと新鮮さや「大衆性」が求められる。相応の水準にある、風景画、人物画、静物画等の、「創る絵」ではなく「描く絵」を増やしたいと言うのが正直なところ。
なお情宣活動については今回も「月刊美術」へ掲載申し込みの予定だが、その体裁や掲載回数について前回並みとするか未定。それとやる以上は当然市場性に繋がるものたらんとは出品者全員の偽らざるところであるろう。案内状送付など、市場への情宣活動も前向きに考慮したい。
いずれにしろ当面は作家の選定が大きなテーマとなる。