そこで私の場合は自分の場合の造形性もあって、原初的な素材を「支持体」、「直ちに絵が描ける状態」にすることを「下地作り」、それ以降のデッサンを伴わない絵の具の仕込み「地塗り」とする。以下に表示したプロセスに従えば地塗りは(A)となる。

http://blogs.yahoo.co.jp/asyuranote/1392736.html

ところで「油絵」と言う素材の最大の魅力は、その重厚さ、コク、味わい等で表現されるものにある。それは他のどんな素材も及ばないと言ってよい。言い換えればその特質を生かさない手はないわけだし、公募展などの客観的評価の上でもその成否が大事な要素となる。
 例えば「描き込みが足りない。」と言うのはよく聞くそういう場でのマイナス評価である。それはマティエールから受ける「油絵をものにしている」か否かと言う評価であり、単なるデッサンとか筆さばきの密度に限定されない。
 勿論例えば、牛島憲之、岡鹿之助のようにキャンバス目を上手く生かした絵、あるいは中村琢二の「一筆描き」のような薄塗りもあるが、それぞれ練りこまれた卓越した技巧によるものであり、相当の経験を要するもの。並みの薄塗りは、軽薄で弱々しい画面となる。これは描いている本人は分からないことが多く、公募展の審査等でシビアな結果となって還ってたり、他人の絵と並べた時に初めて気づいたりするものである。地の白を感じさせるという、水彩画等でメリットになるようなことは油彩ではデメリットになりがちである。多くの画家が重厚な画面作りを目指すのはそういうこともある。

 油絵という素材のもう一つの特徴とは、単なる描く一方、塗り重ね一方で終わらないということである。と言うより、それではダメということの場合の方が大きい。よくビギナーの絵で見かけるのは、形をとるのに悪戦苦闘した結果、ドンドン絵具層が厚くなり、色彩が単調で画肌も重苦しいばかりで、本人もどうしてよいか分からずほったらかしと言う場合がある。
 こうした単調さは作品の評価上では致命的といえる。したがってこれを避けるために下層と上層の透かしの効果、色彩のニュアンス、色彩の響き合い等の効果を図ったり、ナイフや布、ストリッパーなどで表面を削るといった「マイナス画法」を併用して単調でないコクのある画面を作りを目指す。
 そうしたことを効果的に行うため、予め下層に絵の具を仕込んでおく。それは私のように当初段階ではランダムな場合もあるし、計画性に基づくもの、敢えて上層と反対色を仕込むもの、一定の色味を均一に、全面に塗ってしまうもの、いろいろある。
 これが私の言う「地塗り」である。

 前述した通り然るべき油彩の評価の場では、他者との比較ということもあり、油彩と言う素材特有のマティエールの仕上がり具合が重要なポイントとなる。サッサーと描いて「ハイで来ました!」というわけにはいかないのである。因みに「楽しい、一生懸命描いてる」などというのは往々にして他に誉めるところがない場合に使われることがあり、額面通り受け止めない方が良い。「こう言うところを評価してもらいたい」といった、個人の勝手な「芸術的言い分」なども通用しない。「上手い絵」より「良い絵」だが、取り敢えずは「強い絵」を目指すべきだろう。
 そういう意味でも一度外界の風に晒されてみるのもよい。「絵を知らない」者同士の特定コミニュティーの安易な価値観や無責任でいい加減な情報に埋没していると現実を知らないままで終わってしまう。

 さて、油彩というのは、どう転んでも何某かの物理的脆弱性が付きまとう。この欠点を克服するため昔から様々な工夫がなされてきたが、どんな欠点があっても前述のような油彩の持つ味わい深さはそれを凌駕して余りある。向いてるか否かの資質の問題によらず、欠点を理由として油彩を放棄するなどという者は少ない。
 地塗りも相応の注意を要する。それは必然二層以上の絵具層を構成するので互いの「食いつき」が問題となる。
(つづく)