グループ展の展示を終え、グルっと会場を見回したあと、オープニングの生演奏に耳を傾けながら、つくづく「芸術とはいいもんだなぁ!」と思った。それは絵とか音楽そのものに通う感情もさることながら、これだけの人たちが、互いの人生の一瞬、このささやかな空間で、ただ五感の「歓び」と何某かの精神生活の意義のためにだけ集まってくるということに芸術の持つ「純粋な力」を感じたからであろう。
会期中自ら描く人のみならずいろいろな人とあって話する機会を得、本当はそういう芸術の「良さ」に携わりたいという人は多いということを感じた。その「受益密度」は個々の資質や関わり方のレベルによって違ったものになるのはやむを得ないことであろうが、少なくても実作を行うような人やグループから受けた、造形と正面から向き合い、その本質から逸脱することなくそれぞれの自己開発に切磋琢磨しているという印象は、IN世界から受けるのヴァーチャルさとは比較にならないものがあった。
今回の出品者からもいろんな話を聞いた。ある女性は「この世に神などいるものかと荒れた時代もあったが今が一番幸せ」と語る。絵だけは描き続けたこその感慨。もう一人の女性はそれこそ家中の刃物を毎晩隠すという、介護という壮絶な戦いの最中、そういう時期だからこそとの敢えての出品。因みに私も、自慢じゃないが現実社会には「適応障害者」であり、アレルギー体質の因子に花粉、ハウスダスト、冷気に加え「人間」も含まれる。だから絵を描くとは自己の存在証明(アイデンティティー)であり絵がなかったらどうなっていたかわからない。
美大卒系の若年出品者も当然ながら絵画を中心の前向きな人生設計を感ずる。普通美大に入るには研究所で2~3年デッサンを学ぶ。準備期間が足りなく浪人はザラ。首尾よく合格して美大で4年、そしてなお大学院等に進む者、就職も絵画を続けられる条件に適うところ、これだけやってもなお自我の絵画世界の確立という意味では未だ入り口付近だというのは客観的事実だろう。
音楽や演劇を志す者もそうだ。クラブや結婚式場でピアノ弾きのアルバイトをし留学費用を稼ぐ者。水商売で時にはホステスのように客相手をする者。
もちろんみんな当たり前にやっている「苦労」であるし、芸術とはそんな苦労話は作品そのものの評価には全く関係ない、現れた結果が総ての厳しい世界であるが、一つのメティエに携わるとは生活と戦いながらみんなそれだけの努力をし、自己啓発に日々努めているいるということ。
創造とは単なるオマージュだけでは為し得ない、逃避のための駆け込み寺にもならない。実作、理論を問わず、表面をちょっと舐める程度のことしかしてないでわかったようなことを言うふざけた奴が多すぎるというのは先のINコミニュティーで垣間見た幾つかの例による。
INの世界と言えば、最近凶悪事件を含め様々は社会問題をひき起こしている背景に、「出会い系サイト、「学校裏サイト」、「闇の求人」等もう一つの「裏社会」の存在ががあるようだ。
これは様々に屈折した人格が、互いに姿の見えない同じ匂いのする人格に対して、現実社会で得られない「理解」あるコミニュケーションが得られその繰り返しのうちにそのヴァーチャルな世界を現実世界であるかのように錯覚し、次第にその区別がつかなくなり、実際に事件をおこしてしまうなど人格崩壊に至ってしまうと言う流れだ。
これにアニメや携帯電話やTV・PCゲームなどの「秋葉原文化」(数日前その象徴的凶悪事件が起こったが)が加わり、ますます自己中心の幻視的「オタク人格」が形成されていく。
それほど極端ではないにしても、この「ブログ」や「掲示板」と呼ばれるINコミニュティーにもそのようなその種の危険性・問題点が内在していると言う側面は否めないのではないか。
前述したように、その中の「芸術・文化」のカテゴリーといわれるものに今まで幾つかその種のものを感じた。一言で言うとそれは誠に信じ難い、全く本来の世界には通用しないものであるにも拘らず、無知の所産の怖いもの知らずか誠に唖然とするようなものである。
勿論そういう「至らざる・備わざる者」の確信犯的言動自体には全く関心ないし、基本的に、絵画にホビー志向等どのような接し方をしても自由であるが、明らかな誤謬、邪道、ニセモノが真摯な世界に割り込んで来て、芸術を貶め賤しめ混乱させることは、正道、本道の立場で看過できないことである。
先の「社会悪因子」と同じ、ネットに蔓延る悪は指弾しておく必要があるということにはカテゴリーの異同は問われまい。
会期中自ら描く人のみならずいろいろな人とあって話する機会を得、本当はそういう芸術の「良さ」に携わりたいという人は多いということを感じた。その「受益密度」は個々の資質や関わり方のレベルによって違ったものになるのはやむを得ないことであろうが、少なくても実作を行うような人やグループから受けた、造形と正面から向き合い、その本質から逸脱することなくそれぞれの自己開発に切磋琢磨しているという印象は、IN世界から受けるのヴァーチャルさとは比較にならないものがあった。
今回の出品者からもいろんな話を聞いた。ある女性は「この世に神などいるものかと荒れた時代もあったが今が一番幸せ」と語る。絵だけは描き続けたこその感慨。もう一人の女性はそれこそ家中の刃物を毎晩隠すという、介護という壮絶な戦いの最中、そういう時期だからこそとの敢えての出品。因みに私も、自慢じゃないが現実社会には「適応障害者」であり、アレルギー体質の因子に花粉、ハウスダスト、冷気に加え「人間」も含まれる。だから絵を描くとは自己の存在証明(アイデンティティー)であり絵がなかったらどうなっていたかわからない。
美大卒系の若年出品者も当然ながら絵画を中心の前向きな人生設計を感ずる。普通美大に入るには研究所で2~3年デッサンを学ぶ。準備期間が足りなく浪人はザラ。首尾よく合格して美大で4年、そしてなお大学院等に進む者、就職も絵画を続けられる条件に適うところ、これだけやってもなお自我の絵画世界の確立という意味では未だ入り口付近だというのは客観的事実だろう。
音楽や演劇を志す者もそうだ。クラブや結婚式場でピアノ弾きのアルバイトをし留学費用を稼ぐ者。水商売で時にはホステスのように客相手をする者。
もちろんみんな当たり前にやっている「苦労」であるし、芸術とはそんな苦労話は作品そのものの評価には全く関係ない、現れた結果が総ての厳しい世界であるが、一つのメティエに携わるとは生活と戦いながらみんなそれだけの努力をし、自己啓発に日々努めているいるということ。
創造とは単なるオマージュだけでは為し得ない、逃避のための駆け込み寺にもならない。実作、理論を問わず、表面をちょっと舐める程度のことしかしてないでわかったようなことを言うふざけた奴が多すぎるというのは先のINコミニュティーで垣間見た幾つかの例による。
INの世界と言えば、最近凶悪事件を含め様々は社会問題をひき起こしている背景に、「出会い系サイト、「学校裏サイト」、「闇の求人」等もう一つの「裏社会」の存在ががあるようだ。
これは様々に屈折した人格が、互いに姿の見えない同じ匂いのする人格に対して、現実社会で得られない「理解」あるコミニュケーションが得られその繰り返しのうちにそのヴァーチャルな世界を現実世界であるかのように錯覚し、次第にその区別がつかなくなり、実際に事件をおこしてしまうなど人格崩壊に至ってしまうと言う流れだ。
これにアニメや携帯電話やTV・PCゲームなどの「秋葉原文化」(数日前その象徴的凶悪事件が起こったが)が加わり、ますます自己中心の幻視的「オタク人格」が形成されていく。
それほど極端ではないにしても、この「ブログ」や「掲示板」と呼ばれるINコミニュティーにもそのようなその種の危険性・問題点が内在していると言う側面は否めないのではないか。
前述したように、その中の「芸術・文化」のカテゴリーといわれるものに今まで幾つかその種のものを感じた。一言で言うとそれは誠に信じ難い、全く本来の世界には通用しないものであるにも拘らず、無知の所産の怖いもの知らずか誠に唖然とするようなものである。
勿論そういう「至らざる・備わざる者」の確信犯的言動自体には全く関心ないし、基本的に、絵画にホビー志向等どのような接し方をしても自由であるが、明らかな誤謬、邪道、ニセモノが真摯な世界に割り込んで来て、芸術を貶め賤しめ混乱させることは、正道、本道の立場で看過できないことである。
先の「社会悪因子」と同じ、ネットに蔓延る悪は指弾しておく必要があるということにはカテゴリーの異同は問われまい。