YAHOO掲示板「どうしたらうまくかけるの」より転載

その1
 以前佐伯の下地作りについて、伝えられている処方には「体質顔料としての白亜、または胡粉と発色顔料としての亜鉛華を膠とボイル油(煮詰めたリンシード)の混合液、それにマルセル石鹸を加えて練る」というもので、私もそれに従い作ってみたわけですが、その「半吸収地」について以下様の印象を持っています。
 先ず乾燥しても重過ぎる。パネル貼りしない麻布は濡れている時のたわみが大き過ぎ、それと乾燥後の張り具合の落差が大きすぎて亀裂などの危険性も大きい。水と油の混合なのでその「乳化」が難しい。絵の具の乾燥度やその艶の喪失度は油性地と吸収地(水性)の中間ぐらいか。いずれにしろ佐伯の「早描き」はその特殊な技法によりそうした支持体の特質とあまり関係なく行えるのではないか。
 つまり何故佐伯がそんな厄介な下地作りを行ったのかよくわかりません。生地屋から安い麻布が大量に仕入れられると言う、かなり現実的なところにあったかもしれません。
 もう一つ、佐伯の「描画面」から炭酸カルシウムが検出されたとしたら絵の具に混合されたということになりますが、練馬で見た印象と私の感覚ではそれはないように思います。一方胡粉、白亜、卵の殻、石灰石等総て成分は炭酸カルシウムですのもしそれらのどれかを下地材に使ったとすれば下地剤からは炭酸カルシウムが検出されます。因みに石膏は硫酸カルシウム。
 私は日本画材の雲母(キララ)を絵の具に混ぜて描いたことがあります。その時の印象からいうと固着力を補完するためメデュームを混ぜなければならない、その分絵の具の色味が弱くなり透明になる。日本画や一時流行った古典画法に見る例ではそういうものを混ぜると色味や艶が落ち落ち着いた感じになる。
 言い換えれば佐伯のピュアで伸びのある筆捌きとは相容れないような気がしますが。
 それと重質(天然)と軽質(工業的沈降性)に分け「炭酸カルシウム」自体が画材店で売られています。これを当時売っていたかどうかわかりません。
 私は「白亜」を件の方法で下地材に使ったのではと推測してます。

 その2
 前回佐伯の独自の下地作りについてその真の意図が不明と書きましたがもう少し補足したいと思います。
 先ず、佐伯の「早描き」とは第一義はその「造形資質」にあったと思います。つまり時間をかけてじっくりモティーフと対峙したり、丁寧な「絵作り」をすると言う性格の絵ではなかったということです。それと生存への不安、死への強迫観念が結びついてあのような暗鬱で突き刺すようなタッチの絵が一点毎の完成の如何を問わず次から次へ生み出されたと考えています。
 しかし、炭酸カルシウムの混入等その独自の支持体作りや、描画面への炭カルの混入があるとした場合の下絵処理がその早描きを意識したものであるかは疑問です。
 先ずそうした処理自体が非常に手間のかかることで、キャンバスにいきなりグイグイと描き込んでいったほうがよほど早い。とりわけ粉末の炭カルをいちいちパレット上で混ぜ合わせるなどというのは特に戸外などでは考えにくい。
 また仮に「早描き」だけを意識するのであれば、その重要な要件は「乾燥促進」ということになりますが、当時既にシッカチーフのような乾燥促進剤は出てましたし(検索知識ですが1832年頃以降W&N社が発売)、それより遥か以前からあるダンマル樹脂を使えばほとんど描くそばから乾いていく。
 半吸収・エマルジョン地を作った佐伯がその程度の知識が無い筈がない。
 それともう一つは、佐伯程度の造形性(リアルな描写等細かな作業を要さないという意味)なら、絵の具、溶き油、筆の物理的特性の使い分け、描法等によって、普通のキャンバスでもある程度の早描きは可能ということ、これは佐伯を模写したことがある私は実感してます。
 ではなぜあのような下地作りをしたのか?これは描画面の下層色面への炭カルの混入を含めて「マティエール」作りにあったと思います。「佐伯のキャンバス」から絵を描き始めると、普通の画一的で麻布の織目に支配されたキャンバスから描くのとは比較にならないほどの、自由で「心躍る」ものがあります。しかもちょっと塗ればいきなり壁のようなマティエールが現れる。勿論吸収が早いという二義的効果もあります。
 佐伯はブラマンク後はユトリロに傾倒したそうですが、あの漆喰を混入させた「パリのマティエール」に呼応するものが生来あった画家と思います。