前回は「パリ症候群」と言う、現実にあるとされている「在パリ邦人」の 精神障害の側面から佐伯のそれを考察して見ましたが、勿論佐伯がそうだと言う確証は得られませんでした。因みにorionさんの「ハイになる」と言うのは「躁鬱症」の「躁」に当たる場合は問題ですが、日頃の絵画芸術への造詣資質がそういう環境を得たことにより水を得た魚になるということではないでしょうか?(旨いワインが飲めるということも一つあるかもしれませんが^^)
もう一つ「自殺未遂、死を望むようになる」という側面もちょっと考えてみました。これはそれが精神障害の「副産物」で生まれたものか、元々佐伯が資質的にあるいは思想的に持っていたものかはかなり重要なことではないかと思います。
1905年(明治36年)の藤村操の「曰く、不可解…」の「華厳の滝自殺」以来「哲学的自殺」は新しい死生観として日本の「インテリ・若年層」の間である種の衝撃と憧憬に似たものとしてう受け止められてきました。事実世界的な戦争や結核などの業病を背景とし死がただの観念の遊びではなく、直ぐ傍にある現実の問題となってきたことに伴い、如何に死すべきか、而して如何に生くべきかが当然創造者の思想やその作品にとっても重要なテーマになってきたのです。
以下は佐伯祐三(1898~1928・30歳)とほぼ同年代の画家で夭逝・早世した画家たちです。勿論互いに世に出てませんし、互いに知る由もないのですが時代的背景を語るものとしても私には驚くべきと言えるような事実に思えます。いずれにしろそんな時代に佐伯が死を日常的にある種の強迫観念として抱いていたことは想像に難くありません。「俺は30歳で死ぬ」と言うのも下記の没年から妙な合理性があります。
青木繁(1882~1911.28歳)
靉光(1907~1946・39歳)
岸田劉生(1891~1929・38歳)
古賀春江 (1895~1933・38歳)
関根正二(1899~1919・20歳)
田中恭吉(1892~1915・23歳)
中村彝(1887~1924・37歳)
野田英夫(1908~1939・30歳)
前田寛治(1896~1930・33歳)
松本俊介(1912~1948・35歳)
三岸好太郎(1903~1934・31歳)
村山魁多(1896~1919・22歳)
横手貞美(1899~1931・32歳)
一方以下は1974年版「現代のエスプリ」別冊・「自殺の精神病理」より神経研究所診療部長、日本医科大精神医学教室講師(当時)徳田良仁氏による{19世紀から20世紀前半にかけての、芸術家の「死」への思想と作品との関係性}の分類に私がここで若干美術史的補足を加えたものです。(省略、編集有り)
1.画家自身が時代的、歴史的事件に強い興味と関心を持ち、直接間接的な体験に触発されて死のテーゼをとりあげたもの。告発的、社会派的。自我と社会の対峙の形式として死をイメージ。ゴヤ、ピカソ(ゲルニカ)、コルビッツ等
2.哲学的、形而上的な省察過程をイメージ表出。象徴的、知的、神秘的。ルドン、ギュスターブ・モロー、フリードリッヒ・カスパール・ダヴィッド(墓、廃墟などを描いた)、ベックリン(「骸骨のある自画像」)青木繁(「黄泉比良坂」等)
3.自我における不安・葛藤から、あるいは精神病理学的諸状況により下層意識が露出。幻想的、夢幻的、本能的。アルフレード・クービン(「芸術家の死」)ゴーギャン(自殺未遂、「我々はどこから来た…」)、ゴッホ(自殺)、ムンク
なお、ゴヤはどの項目にも該当する稀有な画家としている。
つまり、ここでのポイントは「死」ヘのイメージが何らかの形で作品に現れているということです。因みに同氏は青木繁、田中恭吉、関根正二、村山魁多、靉光などと供に夭折した画家として佐伯祐三の名もあげていますがる田中を除き作品への死にのイメージの表出性は概ね希薄と述べています。(私は村山魁多など若干については異論がありますが)
(つづく)
もう一つ「自殺未遂、死を望むようになる」という側面もちょっと考えてみました。これはそれが精神障害の「副産物」で生まれたものか、元々佐伯が資質的にあるいは思想的に持っていたものかはかなり重要なことではないかと思います。
1905年(明治36年)の藤村操の「曰く、不可解…」の「華厳の滝自殺」以来「哲学的自殺」は新しい死生観として日本の「インテリ・若年層」の間である種の衝撃と憧憬に似たものとしてう受け止められてきました。事実世界的な戦争や結核などの業病を背景とし死がただの観念の遊びではなく、直ぐ傍にある現実の問題となってきたことに伴い、如何に死すべきか、而して如何に生くべきかが当然創造者の思想やその作品にとっても重要なテーマになってきたのです。
以下は佐伯祐三(1898~1928・30歳)とほぼ同年代の画家で夭逝・早世した画家たちです。勿論互いに世に出てませんし、互いに知る由もないのですが時代的背景を語るものとしても私には驚くべきと言えるような事実に思えます。いずれにしろそんな時代に佐伯が死を日常的にある種の強迫観念として抱いていたことは想像に難くありません。「俺は30歳で死ぬ」と言うのも下記の没年から妙な合理性があります。
青木繁(1882~1911.28歳)
靉光(1907~1946・39歳)
岸田劉生(1891~1929・38歳)
古賀春江 (1895~1933・38歳)
関根正二(1899~1919・20歳)
田中恭吉(1892~1915・23歳)
中村彝(1887~1924・37歳)
野田英夫(1908~1939・30歳)
前田寛治(1896~1930・33歳)
松本俊介(1912~1948・35歳)
三岸好太郎(1903~1934・31歳)
村山魁多(1896~1919・22歳)
横手貞美(1899~1931・32歳)
一方以下は1974年版「現代のエスプリ」別冊・「自殺の精神病理」より神経研究所診療部長、日本医科大精神医学教室講師(当時)徳田良仁氏による{19世紀から20世紀前半にかけての、芸術家の「死」への思想と作品との関係性}の分類に私がここで若干美術史的補足を加えたものです。(省略、編集有り)
1.画家自身が時代的、歴史的事件に強い興味と関心を持ち、直接間接的な体験に触発されて死のテーゼをとりあげたもの。告発的、社会派的。自我と社会の対峙の形式として死をイメージ。ゴヤ、ピカソ(ゲルニカ)、コルビッツ等
2.哲学的、形而上的な省察過程をイメージ表出。象徴的、知的、神秘的。ルドン、ギュスターブ・モロー、フリードリッヒ・カスパール・ダヴィッド(墓、廃墟などを描いた)、ベックリン(「骸骨のある自画像」)青木繁(「黄泉比良坂」等)
3.自我における不安・葛藤から、あるいは精神病理学的諸状況により下層意識が露出。幻想的、夢幻的、本能的。アルフレード・クービン(「芸術家の死」)ゴーギャン(自殺未遂、「我々はどこから来た…」)、ゴッホ(自殺)、ムンク
なお、ゴヤはどの項目にも該当する稀有な画家としている。
つまり、ここでのポイントは「死」ヘのイメージが何らかの形で作品に現れているということです。因みに同氏は青木繁、田中恭吉、関根正二、村山魁多、靉光などと供に夭折した画家として佐伯祐三の名もあげていますがる田中を除き作品への死にのイメージの表出性は概ね希薄と述べています。(私は村山魁多など若干については異論がありますが)
(つづく)