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Ψ筆者作「ピエールドロンサール」(前出)

 ここ数日盗作事件がマスコミを賑わせている。創造者にとって明らかな意図をもっての盗作とは最も恥ずかしいことである。以前知り合いの作家(小説)が懸賞時代劇小説に応募した時、ある発想について明らかに審査員だった某著名作家にパクられたと言ったのを聞いたことがある。「自分は無名だし発表の場も与えられていないのでどうせ分からないだろうということだろう」と悔しさを滲ませて語っていた。
 剽窃する側に確かにそういう気はあるだろう。だとすれば誠に≪人間的にも賎しい行為だ。≫「何のために描くか」、「創造の意義何か」以前の問題である。
 さらに驚くべきは明らかな剽窃でもあるにもかかわらず文化庁の役人が調査しにイタリアまで行ったということ。「勲章」を与えた側の責任回避のためできれば穏便に済ませたいということだろう。その費用は税金ではないのかね!?
 件の作品は見るものが見れば盗作は明らかである。仔細を語る気も起きないが、剽窃の剽窃たる所以は単に外観が似てるというだけではなくその発想や造形的処理にある。これをあーでもないこーでもないと言ったりするのは絵を知らないだけでなく人間的良心もモラルもない、恥ずかしい人種。
 本件は多かれ少なかれこの国の芸術文化がそういう処世術や権威主義に支えられているということの必然の現れであろう。何をか言わんや!