別項で書いたがIN上の複数の特定HN(ハンドルネーム)について、その投稿等は不快で無益ゆえ「無視機能」を有効にしているので読むことが出来ない。しかし周辺の投稿や、当ブログの「反論待望論」なのか(自分で意見言えっつーの!)訪問者の不自然な増加等で何か「異変」を感じることがある。 そういうわけで馴染みの掲示板トピックを開いて覗いてみたらまたもや複数の投稿者による誠に寸足らずの忌まわしい記事があった。
 もとより掲示板等IN上の公共の場は必ずしも高度に専門的である必要はないし、仮に誤謬や至らない部分があっても自分の思想を自分の言葉で語り合う分には相応の意義のあるものであろう。
 しかし、おそらく自分の都合の良い部分だけを抜書きした「検索知識」程度や、断片的な知識の寄せ集め、受け売りの情報によってあたかも何事かについての本質を語るがごときもの、かつそれを自分が熟知しているがごとく、もっともらしく語っているやり取りが増長して当該トピに定着するような場合は何某かの対応が必要と言うものである。
 事ほど左様にそれらは思想と呼ぶにはあまりに無知と未熟、生煮え、単細胞あるいは近視眼、特に某当該人についてのそれはそういう意味では絵画芸術を語るについての破綻に類するもので、「毒を食らわば皿まで」か「乾坤一擲」のつもりか、まことにお粗末なものであった。そこで当該トピの格調とレベルのため、それがそのような程度のものらで占められてるという誤解を一般ロムラーに与えないため、当該トピ開設以来一枚噛んでいる身としては看過しえずまたもや不本意な一文の労となった次第。
 
 先ず歴史というのは時の国家や権力者の複雑な利害関係や思惑、権謀術策が渦巻いてできたものであり、その本質を究めることは誠に難しいものがある。したがって個々の事象についてもその意味や意義は光の当て方によって様々に映るものである。「もしそうだったらそうなっただろう」とか「そう解釈したらそういうことだろう」という「解釈論史観」は言い出したらキリのない話。真実は周辺事情や厳然とした結果などから総合的に判断し、善悪も「国際平和」だとか「人類福祉」などの立場にたって判断すべきであろう。
 つまりは語る人間のどういう立場にあるかというポジションの問題に帰する。ところで件の投稿人はその「論旨」が一部で言い古されている「大東亜戦争肯定論」に他ならないと言うことに気づいているのであろうか?
 正に正体見たりの観あり!
 それは例えば「朝鮮半島に学校や鉄道、道路ができたり、インドシナ諸国が独立を果たしたりしたのは≪日本軍国主義≫の進出あったればこそである」という類の話である。この「解釈論史観」は必ず辻褄が合わなくなる、破綻をきたすものであるということは既に一定の結論のでてるところであろう。それを敷衍すれば例えば「ナチスドイツのホロコーストが成功していれば今日のパレスチナ紛争やテロの問題もなかった」などと言う極論も事実であるということとなる。また「ヒロシマ・ナガサキ」も、原爆投下は「戦争が早く終わらせあれ以上の犠牲者を出さずに済ますためにのやむを得ないもの」ということになる。(事実アメリカの大義名分はそれだ)そんな理屈が通用すると思うか!?

 「真珠湾攻撃はアメリカは事前に察知していた」などというのは今さら鬼の首取ったように言うことではない。先ず日本の資源や国力が疲弊したと言うのをあたかも自然発生的なものとして捉え、事はそこから始まったかのように書いているが、それは大陸や南方進出とその無理な経営によってもたらされたもである。ABCD(アメリカ、ブリテン、チャイナ、ダッチ)ラインと呼ばれる対日包囲網はそのために敷かれたものである。真珠湾攻撃はそれを打破する端緒たる一事象として捉えるべきであり、それ以前に日米開戦の因は外相松岡洋右の言葉を援用するまでもなく日独伊の「三国同盟」締結とそれに対するアメリカ以下の反ファシズム連合にあったのである。
 南方進出の下りにいたっては何を言っているのかサッパリ判らない。マッカーサーの「アイシャルリターン」の言葉の象徴されるようにフィリピンでは日米の委任統治をめぐる利害が激突していた時期であり、どこをどう叩けばアメリカが日本につくと言う発想が出て来るのか?インドシナや南洋群島が全部日本になったらメデタシメデタシという侵略賛美論は何をか言わんや!
 特に朝鮮半島、中国への認識は浅薄も甚だしい。現に歴代の総理大臣以下政府関係者も「迷惑をかけた」と謝らずを得ないほどの事実があるのであり、陳腐な反「自虐史観」を安易に援用したに過ぎない。
 日中戦争は誰がどう見たって侵略であるし「満州国」は傀儡政権だ。底流には「五族共和」、「八紘一宇」の北進・南進の国策があった。対ソ戦略というが少なくてもソ連が参戦したのは太平洋戦争最末期である。

 前にも書いたが私の祖先は薩摩藩士族出身で、その関係からか朝鮮総督府関係の仕事をしていたそうだ。写真が残っているが小学校の校庭のような広い庭のある家に住んでいて朝鮮人の使用人もいたそうな。これが事実の一端だろう。
 朝鮮・韓国人の反日感情は単純なものではない。

 以前日韓首脳会談を鹿児島で開くという時韓国の一部で反対があったそうだ。その理由は鹿児島は「征韓論」の提唱者である西郷隆盛の出身地であるということらしい。更に古くは豊臣秀吉の朝鮮出兵にまで遡る。
 更に1910年、日本は「日韓併合」を強行し「朝鮮総督府」を設置する。その直前「統監府」の長であった伊藤博文が安重根により暗殺される。その安重根などの独立運動を憲兵なども動員して大弾圧する。その象徴が西大門刑務所である。
 三番目が1939年の「国民徴用令」に象徴される「皇国民化」政策である。この時実行されたのが徴用、強制連行、従軍慰安婦など。長崎県の大村にはそれらの「強制収容所」があった。とりわけ朝鮮民族のメンタリティーを著しく蹂躙したのが悪名高い『創氏改名」。創氏改名とは苗字を創り名前を変えるということである。例えば金〇〇と言う朝鮮人名を金田○夫とか木村○子という日本人名にすることである。私が「チーャリー・ウィリアムス」になるようなものだ!(大笑い)
 韓国・朝鮮人についての戦後問題でも例えば軍属朝鮮人の戦死者、被爆者、ハンセン病患者などに係るも差別的処遇の問題もある。金をいくら払えばよいという商人的発想では真の信頼など得られるはずがない。

 当該投稿人はそのような経緯を知った上で博物館的な一事例のみをもってして『反日」を為政者のプロパガンダに過ぎないとみてるのだろうか?反『自虐史観」としてもあまりにお粗末である。
 「公正で客観的な世界観」が聞いてあきれるというものだ。「公正で客観的な世界観」とは日本人だからといって日本人の誤りや悪いところに目を瞑り、我田引水やご都合主義や身贔屓などで事象をみることではあるまい。
 先の戦争では国内300万人、世界全体では2000万人死んだと言われている。特にこの国は世界で唯一未曾有の大量無差別破壊兵器である原子爆弾の投下を受けた国である。当該投稿人らはこの事実をどう考えているのか!?
 「リメンバー〇〇」と言うなら日本人としては「リメンバー ヒロシマ・ナガサキ」を叫ぶべきであろう。
 その後の他者を含めた投稿はもう無茶苦茶。靖国の問題、当時の国際情勢、戦前と戦後の天皇の位置、朝鮮戦争の経緯、アメリカの世界戦略どれ一つとってもまともなものはない。 
 今本邦をめぐる外交防衛問題は改憲やアメリカの世界戦略、領土問題を含む近隣諸国関係などで緊張状態にある。もしそれらをめぐる議論が件のような低レベルでなされるとしたら誠に迷惑な話だし先に見えてくるのは「戦争」の二文字であろう。