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Ψ 筆者作 上 「街灯とベンチのある風景」油彩 A1パネル
 同上   下「オーヴェールの教会」油彩 F20 

 成り行き上とは言え、キャンバスを作ったり真贋事件を考察したり、佐伯にここまで深入りするとは思わなかった。正直言って特別好きな画家ではなかったし、早世しなかったら、パリを描かなかったら、「アホの坂田」みたいな容貌だったら、今日のような存在になっただろうか…程度の認識しか持っていなかったのである。
 ところで「油絵」の魅力というのは、そのいろいろな意味の「マティエール」にあるといってよいだろう。(因みに前出の岡鹿之助は「油絵のマティエール」という本を一冊書いている。)それは千変万化、画家によりいろいろな展開の可能性がある。フレスコ・テンペラ以後の美術史上でも「画家」というのは結局は「油絵描き」だったし、その素材をどうこなすか、その素材の中から「自分の色彩」、「自分のフォルム」をどう見出すか、自分の「造形思想」をどう表現するか、ベースはその方法論・技術論であったといっても良い。

 言い換えればそうしたもの見出す為に画家は切磋琢磨し、模索し、悪戦苦闘するわけでその道は生活とも絡めて容易なことではない。一方油絵という素材のもう一つの魅力は、ある種の「危うさ」、「ブロークンさ」もそれなりに生かせるというところもある。つまり「ヘタ」は「ヘタ」なりにサマになるというところがあるのだ。
 また私らはよく「コドモの絵」という言葉を自戒と自虐をこめて使った。「一発花火」で後が続かない、あるいは形から入りスタイルばかりを追い中身が着いてこない、そういう絵だ。そういう「コドモの絵」は随分見かけた。
 佐伯の才能とは前述のような「粗さ」と言う意味の「ヘタ」さを造形価値に転化し、その30歳そこそこという年齢に比し短期間で自分の画境を切り開き、立派に「オトナの絵」を描けたというところにあるのではないか?

 勿論佐伯もヴラマンクに会うまでには模索の紆余曲折が有ったようだが、ともかくも纏めて伝えられている作品群を見れば、自分の色彩、表現、造形を掴んでいたということは言えるだろう。
 魅力あるところはその「攻撃的な無頓着」というところか?モティーフと素材という二つの武器だけでケレンミなく絵画芸術に対峙しきったということ、つまり妙な作為や胡散臭さや絵づくり上の奇麗事など一切ない。
 冒頭述べたような私が佐伯に深入りした理由とは、改めてそういう絵を描く原点のようなものを思い知らされたからかもしれない。