今日佐伯のアトリエに行ってきました。orionさんたちにも是非一度行って頂きたいところと思います。アトリエそのものは非常に当時の雰囲気を伝えています。ここで佐伯が米子やヤチと供に短い間ながらも暮らしていたのかと思うと感無量でした。
 というか、ここのトピでも話題にしてることもあるし、佐伯の作ったキャンバスにも描いたし、パリも下落合も知ってるし、当時と現在、時間・空間を超越した、何か一瞬渾然とした時空、それも身近な現実感を伴なう妙な雰囲気を感じることができました。
 それは「佐伯公園」という小さな公園の中にあります。山手通りと新目白通りの交差するところをちょっと入ったところです。
 付近は非常に込み入った細い路地が続きそれを縫うようにしていくと、まるで他人の家のちょっと大きな庭に迷いこんだようなところで、家並みがひしめく中にポッと木立にかこまれた一帯表れます。
 そこは非常に行きずらい印象で、それを目的にわざわざ訪れる人以外は誰も来そうもないようなところで、今日もキジトラの猫が一匹表れて私を胡散臭そうな眼で見たきりでした。
 米子存命中は母屋もあったそうで、今はケーキのような愛らしい、しかし中に入れないアトリエだけでその後新宿区が「史跡」として接収して公園にしたそうです。
 近くには私が通っていたことのある絵画研究所や「修復研究所」など、このトピにも出て来た施設があるし私もこの辺はかなり歩いたことはあるところでしたが、こんなとろに佐伯のアトリエがあったとは「灯台下暗し」でした。(全く関係ないですが昔「東大、もっと暮らしいい!」というマンガがありましたがorionサン如何でしょう?(^^)) 

 ところで佐伯が下落合を「ダメだこりゃ!」と言った意味が分かるような気がしました。 勿論当時と今では様相が激変してると思いますが、例えば今モンマルトルを歩いてもユトリロが描いてた頃とほとんど変わらないなど、文化的先進国とは開発も環境ぐるみで考えるという都市計画があるものですが、そうした配慮は一切なく開発至上主義、機能性優先の無様なせせこましさの中に孤島のように置かれた「佐伯公園」を見るにつけ、佐伯がそこにモティーフを見出し得なかった事はそれと関係があるような気がします。

 アトリエの写真や、佐伯のキャンバスに描いた絵など関連画像は後刻ブログで表示する予定です。