9月25日、「佐伯祐三展」を見に行った。後日の技法の講演のある日にしようかと思ったが、その日はその日として早めに作品を見たいと思い、近くでもあるしカタログが売り切れてもいけないので練馬区美術館へ足を運んだ。
 これだけまとまった佐伯作品を見るのは初めて、全国各所の美術館等にある作品を練馬区美術館が借り受けたものであるので出所進退は明らかで贋作の余地はないが、一応話題の米子加筆・代筆を念頭に於いて鑑賞した。
 結論から言えばそうした事を含めて佐伯には数多の評論、解釈、推理があるが、芸術とは何か、佐伯の芸術とは何か、それを余分な情報を排して作品そのものを純粋に問い詰めれば自ずから佐伯の本質は明らかになろう、そういう期待に応え得る展覧会であった。

 画家はモティーフが発する「造形信号」のようなものを、美意識や価値観などの全霊のアンテナを傾けてで受け止め、造形感覚で反芻、一定の造形技術を根拠として絵画空間として再構成する。
 そのプロセスは一貫しており、必然色調もフォルムも線も面もマティエールも総合的・全体的なものとして現れる。それはDNAのような「絶対的属人性」に支配されているので、仮に「異物が混入」した場合「拒否反応」のような不自然さが画面に現れるだろう。

 例えば佐伯の画面で言うなら、色調もフォルムも線も面もマティエールも無駄なく、バランスよく、一貫しているのだ。木の枝、建物の線、窓枠、総て一人の画家の造形感覚に支配されており、無駄な線は一本もない。つまり米子の加筆の必然性も余地もないのだ。もし誰かがちょっとでも筆を入れたとしたら、それと辻褄を合わせるために他にも入れなければならない。それは際限なく広がっていき最後は全くちがったものとなってしまうだろう。属人性の全体支配とはそういうものだ。以下具体的述べる。

 例えばペインティングナイフでのかなり広い色面塗り。これは部分的な加筆修正の余地ない。一気にビューッ!と塗られている。
 線も太いのから繊細なものに至るまで異質なものはない。誰かが「絵づくり」の為および腰で引いた線ならすぐにそれとわかるだろう。画面全体の線に一貫性があり、確信に満ちた一本の無駄のない線ばかりである。それは最早「タッチ」というより筆による画面の「ムーブマン」(動勢)と言えるものであり、このような骨太の造形的力量が米子にあるはずがない。(というより女性は生来持ち合わせていないだろう。その代わり男にはない女性特有の良さもあるので悪しからず)

 しかもそうした筆運びの多くに、場合により他の運筆、色面にまたがって、上からグラシが施されている。筆跡の凹部に絵の具を侵入させ筆跡をクッキリさせ画面にコクを与える。他にナイフで払拭したりその上からさらに塗ったり、絵の具を混濁させたり、地塗りや最上層のニスと相俟って実にコクのあるマティエールをつくっている。このように時系列的ににみても、佐伯の作品は一貫した「無計画の計画」のようなプロセスを踏んでいるので途中介入する事は不可能。つまりもし代筆するんだったら最初っから全部自分で始める必要がある。

 例の独自の下地は明確に見て取れた。まだ80年しか経ってないのでこれから先は分からないが、混入した「石鹸」も心配されたものではなさそう。それ自体は平滑で亀裂や落剥はなく、下地処理自体の明確な破綻はない。凹凸は上に塗られた油絵の具のマティエールによるもの。その下地と「汚し」たる地塗りは画面の効果の影響は大だろう。時に見られるボヤ気た部分は単なる未完か失敗だろう。

 佐伯の絵の特色である黒い線や文字について。これはほとんど下層が乾いていないあるいは生乾きのうちに引かれたものであろう。下層が乾いてないうちに塗り重ねると言うのは画家なら誰でもがやるテクニックの一つだ。下層が微妙に上層と溶け合い深みある色調となり馴染みも良い。佐伯のポスター文字や椅子の線は下層の絵の具と溶け合っている。言い換えるとそれの応じて下層のマティエールが「動いている]。もし下層のマティエールが動いてなく文字や線がクッキリと独立した色調である場合は、下層が完全に乾いたあと描かれたものということになる。米子の加筆の余地があるとしたらそうした一定時間を経た乾いた画面ということになろう。

 佐伯については、「夭折の天才」と言われているが年齢に応じた「絵づくり」上の未熟さやブロークンさがあるのではないかと「期待」していたが、これほどバランスの良い絵画空間だったとは思わなかった。
 おそらく自ら長いこと油絵を描いてきて、その油絵の具と言う素材の持つ特質と可能性、難渋さ、扱いづらさとそれを逆手にとる妙味等を身をもって熟知している画家なら、美校を出てそう間もない佐伯の、そう言う意味での驚くべき早熟さ、完成度が理屈抜きで直感的に見て取れるのであろう。
 例え米子の加筆があったとしても、佐伯の骨太な造形性はそんなものには左右されないということも。
  
 佐伯をめぐる件の真贋事件サイトには画家の見解はほとんど出てこない。また各種文献でもでてくるのは荻須高徳と野見山暁治ぐらいだ。画家の直感は感覚的なものなので立証できない。これに対し美術史学系や評論畑、あるいは関係者は具体的材料や状況証拠など一定の説得力ある「武器」がある。
 だからいかにももっともらしく聞こえる。しかし、先に述べたように画家は造形という命題に随いその範囲で事象を受け止め、解釈し、作品に再現するものであるから、その画家のトータルな部分を見ればよい。その構造的な部分で画家の本質を感ずれば良いのである。その意味で佐伯祐三という画家の芸術は間違いなく存在していた。
 
 その見慣れない、暗鬱だが時代と精神を反映した、突き刺すような色彩とフォルムは今日では考えられないような衝撃を与えたようだ。これはやはり佐伯固有の才能であり、そのベースとなる「造形的思想」であろう。それだけを語ればよいと思う、それが佐伯の芸術総てだ。その後の米子の代筆やスターダムにのしあがった経緯などは佐伯の芸術あったればこそのエピソードということだろう。