≪事実経過≫
それから事実経過ですが、佐伯は大阪大淀区の光徳寺と言う寺の次男坊です。
米子は銀座の象牙商池田家の娘。美校在学中の結婚します。どちらもかなり裕福であったと想像されます。
その辺りで、佐伯の実家から月当り300円、米子の実家から200円。計今日の100万ほどの生活費を得ており、フランスでの生活もできると言う事で1923年、卒業と同時期に一回目の渡航をします。この歳に関東大震災がおこり米子の実家池田家は瓦解します。
それにもかかわらず、当時多くの画家は単身渡航でしたが、既に生まれた弥智子共々一家揃っての渡航を可能にしたのは異例とも言えるでしょう。
神戸から船で出発しますが途中大阪の実家によりマルセイユまでの船賃のせん別を受けます。この額がなんと1000円、今日では200万ぐらいです。
これは一等の船賃に当てられる額ですが佐伯は三等にしてその分友人の渡航費用を援助します。
これは佐伯に金へのこだわりがない、私の言う「カネのことはどうでも良い」と言うことの現れではないかと思います。
ここでポイントは米子も弥智子も二回とも渡航に同行しているということでしょう。米子が行かなかったら佐伯や荻須の絵はどうなっていたかと言う話もありそうです。
パリでのおかっぱの弥智子の写真が残ってますが、こちらは同行しなかったならば…と悔やまれてなりません。
それから事実経過ですが、佐伯は大阪大淀区の光徳寺と言う寺の次男坊です。
米子は銀座の象牙商池田家の娘。美校在学中の結婚します。どちらもかなり裕福であったと想像されます。
その辺りで、佐伯の実家から月当り300円、米子の実家から200円。計今日の100万ほどの生活費を得ており、フランスでの生活もできると言う事で1923年、卒業と同時期に一回目の渡航をします。この歳に関東大震災がおこり米子の実家池田家は瓦解します。
それにもかかわらず、当時多くの画家は単身渡航でしたが、既に生まれた弥智子共々一家揃っての渡航を可能にしたのは異例とも言えるでしょう。
神戸から船で出発しますが途中大阪の実家によりマルセイユまでの船賃のせん別を受けます。この額がなんと1000円、今日では200万ぐらいです。
これは一等の船賃に当てられる額ですが佐伯は三等にしてその分友人の渡航費用を援助します。
これは佐伯に金へのこだわりがない、私の言う「カネのことはどうでも良い」と言うことの現れではないかと思います。
ここでポイントは米子も弥智子も二回とも渡航に同行しているということでしょう。米子が行かなかったら佐伯や荻須の絵はどうなっていたかと言う話もありそうです。
パリでのおかっぱの弥智子の写真が残ってますが、こちらは同行しなかったならば…と悔やまれてなりません。