私は自然・風景や動物が好きである。なぜならそれにはウソがないから。ハッタリも駆け引きも虚飾も打算もない。前にどこかで書いたが人の人生の価値とはどれだけ多くの真実に出会ったか、その「分量」によるものではないかと思う。
 我々の周りは政治・経済からマスコミ文化、市民社会にいたるまで、凡そ世界は「ウソ」に満ちている。だからそこに埋没していると真実に出会えない。価値のない人生でしかなくなるのだ。此処に芸術・文化の意義がある。我々は優れた芸術作品に接し、それを通じて芸術家の「思想」を知ることができる。この場合の「思想」とは勿論、政治や社会科学、宗教、哲学など「イデオロギー」として理論的に体系化されたものばかりではない。継続的にあるいはその都度、自我の生きる意味と真実にため誤魔化さずに人生と向き合う姿勢であり、自我が存在している世界や事象の「解釈の仕方」である。芸術とはそうした「問題意識」を創造と言う形で具現化したものに他ならないと言える。美意識、価値観、死生観など全部思想である。
 セザンヌもゴッホも、ユトリロもモディリアニもシャガールも作品がインパクトをもって受け入れられるのは底流にその思想があるからにほかならない。文学も音楽も凡そ芸術と言えるものはそれだ。その思想は時代を超え国を超え今日にも生きている。だから芸術は永遠でありインターナショナルなのだ。芸術を愛する者は、こういう真実を求める姿勢ゆえに、覚醒した精神、曇りなき眼力を持っている。それは世界に満ちた理不尽や不合理やインチキを看破するだろう。時代に諂い、芸術を物質の下位に据え、平和すらも金で買えると思っている近視眼的エセ文化も完全に識別できるだろう。

で仮題とどう整合性をつけようか?≪惚れたはれた、やったやらない≫のご時世に、「御新造さん、困ったことがあったらあっしに何でも相談してください…」っていうような、おじさんの「純愛」のような絵が描きたい…ってこじつけかな?