紀元前1300年頃エジプト王家のラメセス2世は各地に大規模土木事業を起こした。これにユダヤ人を奴隷として使用したのである。この奴隷を救出して脱出を図ったのがモーセ。(出エジプト記)男だけでも約60万人といわれる奴隷を連れての逃避行途中モーセはシナイ山に登り神から例の「十戒」を受ける。以来神と人間の契約ができる。蛇足だが旧約聖書、新約聖書の「約」とは神との契約の「約」であり「訳」ではない。
信仰を条件とするその約束の中に「ユダヤ人は神から選ばれた人間=選民であり、カナンの地(今日のパレスチナ)は神がその居住を保証した土地であり、これを阻む者は容赦なく排除してよい」と言う趣旨があった。
数十年の苦難を経てついに古代イスラエル王国の第二代の王ダビデが念願の約束の地、安息の丘、シオンの丘、エルサレムを首都と定めることに成功する。今日イスラエル国旗の真中に描かれている「ダビデの星」と呼ばれている星はこのダビデの紋章である。次の王ソロモンでその最盛期をむかえたイスラエル王国もソロモンの死後南北に分裂、やがて弱体化し、アッシリア、バビロニア、ローマ帝国など外部勢力の侵犯を受け、やがてユダヤ民族はついにエルサレムを追われ世界各地に分散することとなる。
以来実に2000年余にわたる「ディアスポラ」と呼ばれる民族流浪の旅が始まる。
しかし、元々ユダヤに対しては裏切り者ユダの子孫としては西欧キリスト教社会では反感があった上、頑迷なほどユダヤ教とそれに伴う生活習慣に固執する一方、旺盛な生活力を備え、また政治、経済、学術、芸術など各分野にその才能を発揮するなどその「優秀さ」に出る杭は打たれるごとく、それが定住先の為政者に警戒心を与え、国民とも様々の軋轢を生むことになる。
それがヨーロッパ各地でのユダヤ民族への慢性的迫害、差別となった。特に19世紀末のロシアでは大規模迫害があり、そのせいもあり今日のイスラエルはロシア系ユダヤ人の入植者が多いそうな。因みにシャガールはロシア系ユダヤ人。すでに後述する「シオニズム」運動は盛んになってきていたが、祖国建設に拍車をかけたのが、なんといってもナチスドイツによるホロコースートであった。逆に言えばユダヤの存在は、最高・最優秀の民族たるアーリア人の地位を脅かすほのどものとしてヒットラーの心胆をさむからしめるものであったということが言えそうである。
因みに、国家を含む既成の社会システム、秩序に組みされるくらいなら、マイペースで流浪しつづけた方が良いというものと言えば「ジプシー」がそうだ。ジプシーもナチスドイツからはユダヤと同様の迫害を受けた。時空を問わず、こういう「身元不明の挙動不審者」は迫害される運命にあるらしい。優秀であってもなくても。
ともかくもこうした世界各地での迫害差別を受けて世界中に散らばっていたユダヤ人の間に自分達の国を持とうという気慨が生まれるのは必然のことであった。
ここについに1897年、母国建設に向けての「第一回シオニスト会議」が開かれる。シオニズムとは2000年前の故郷エルサレムのシオンの丘に因むもので、その趣旨は先の≪ユダヤ人は神から選ばれた人間=選民であり、カナンの地(今日のパレスチナ)は神がその居住を保証した土地であり、これを阻む者は容赦なく排除してよい≫」と言う、実に2000年前の「神の約束」がそのまま適用されるものであった。
(つづく)
信仰を条件とするその約束の中に「ユダヤ人は神から選ばれた人間=選民であり、カナンの地(今日のパレスチナ)は神がその居住を保証した土地であり、これを阻む者は容赦なく排除してよい」と言う趣旨があった。
数十年の苦難を経てついに古代イスラエル王国の第二代の王ダビデが念願の約束の地、安息の丘、シオンの丘、エルサレムを首都と定めることに成功する。今日イスラエル国旗の真中に描かれている「ダビデの星」と呼ばれている星はこのダビデの紋章である。次の王ソロモンでその最盛期をむかえたイスラエル王国もソロモンの死後南北に分裂、やがて弱体化し、アッシリア、バビロニア、ローマ帝国など外部勢力の侵犯を受け、やがてユダヤ民族はついにエルサレムを追われ世界各地に分散することとなる。
以来実に2000年余にわたる「ディアスポラ」と呼ばれる民族流浪の旅が始まる。
しかし、元々ユダヤに対しては裏切り者ユダの子孫としては西欧キリスト教社会では反感があった上、頑迷なほどユダヤ教とそれに伴う生活習慣に固執する一方、旺盛な生活力を備え、また政治、経済、学術、芸術など各分野にその才能を発揮するなどその「優秀さ」に出る杭は打たれるごとく、それが定住先の為政者に警戒心を与え、国民とも様々の軋轢を生むことになる。
それがヨーロッパ各地でのユダヤ民族への慢性的迫害、差別となった。特に19世紀末のロシアでは大規模迫害があり、そのせいもあり今日のイスラエルはロシア系ユダヤ人の入植者が多いそうな。因みにシャガールはロシア系ユダヤ人。すでに後述する「シオニズム」運動は盛んになってきていたが、祖国建設に拍車をかけたのが、なんといってもナチスドイツによるホロコースートであった。逆に言えばユダヤの存在は、最高・最優秀の民族たるアーリア人の地位を脅かすほのどものとしてヒットラーの心胆をさむからしめるものであったということが言えそうである。
因みに、国家を含む既成の社会システム、秩序に組みされるくらいなら、マイペースで流浪しつづけた方が良いというものと言えば「ジプシー」がそうだ。ジプシーもナチスドイツからはユダヤと同様の迫害を受けた。時空を問わず、こういう「身元不明の挙動不審者」は迫害される運命にあるらしい。優秀であってもなくても。
ともかくもこうした世界各地での迫害差別を受けて世界中に散らばっていたユダヤ人の間に自分達の国を持とうという気慨が生まれるのは必然のことであった。
ここについに1897年、母国建設に向けての「第一回シオニスト会議」が開かれる。シオニズムとは2000年前の故郷エルサレムのシオンの丘に因むもので、その趣旨は先の≪ユダヤ人は神から選ばれた人間=選民であり、カナンの地(今日のパレスチナ)は神がその居住を保証した土地であり、これを阻む者は容赦なく排除してよい≫」と言う、実に2000年前の「神の約束」がそのまま適用されるものであった。
(つづく)