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Ψ筆者撮影「平戸の寺と教会」

 先のテンペラの記事で「テンペラグラッサ」に関して書いた。この技法はそこでも述べたように、世に言う「水と油の関係」を覆すものだ。エマルジョンというのは簡単に言うと水と油それぞれの粒子が、特定の媒材を介して均衡して安定して溶け合った状態を言う。この媒材となるものが鶏卵に含まれるレシチン、牛乳にふくまれるカゼインでともにテンペラのメデュームになる。
 したがってそれは大量の油性分を含みながら水で希釈できるということになる。
 これは絵画の技法における「異種混合」文化であろう。

 私が数多のイコンに接したブルガリアも別の意味の異種混合文化の土地と言える。かの地はトルコと黒海に隣接している。トルコはご承知のように東西文化の接点。地理区分ではアジアに含まれる。ブルガリアも多くトルコ人がいるようだ。そこの田舎町を訪れてビックリした。低い石塀に瓦屋根、木づくりの家や門扉、ニス塗りの木目、正に東洋的。イコンもどこか東洋的な泥臭さを感じる。
 これは歴史的経緯もある。オスマントルコやモンゴル帝国の直接・間接の侵犯や文化的波及の影響が大きいかもしれない。一方北にはドナウ川が流れているので西方文化の流入もあったであろうから、折衷された生活・文化は当然想定される。
 
 日本にもある。別項で書いたが私が子供の頃一時期いた長崎県が西洋文化の窓口だったというのは天下周知の事実。長崎市内には大浦天主堂、唐寺の崇福寺(ともに国宝)、数多の和寺と和洋中の折衷だ。
 上記写真は隠れキリシタンの里平戸の写真である。和寺の向こうに教会の尖塔が見える。その教会とその内部が続きの写真。田舎の狭い一角の割に珍しい光景である。(実はこの写真、あるテンペラ作家が別コミニュティーで最近アップしたものと偶然全く同じ場所で撮ったもの。というかそれを機にこの「こじつけ気味」の一文を思いついたのだ。)
 そう言えば観音様と思わせて実はマリア像だったという「マリア観音」ってのもあったな。

 このように考えると、人間って本当は「異物」を吸収し同化し共存できる能力があるのではないか。文化芸術がそれこそ件のエマルジョンとして大きな力をもったら、少なくても偏狭な政治主義的ナショナリズムから人間が被害を受けるということは避けられるのではないかと思ったりする。