「絵画」の英訳である「ぺインティング」というのは本来絵画全体では一部門の意味に過ぎないと言える。
 それは「色を塗る」ということに係るものといってよい。「形を描く」はドローイング」の方が適当だろう。「調子をつける」にいたっては、明度差、色相差利用のベタ塗り、ぼかし、グラシ、スクラッチ、スカンブル、点描、そしてハッチングなど。

 テンペラ、フレスコなどの油彩以前の古典絵画は人物などの主要描写は多くはハッチングによりトーンをつけられたものだった。本邦のように西洋絵画の伝統が油彩から始まった国は全部ひっくるめて「ペインテイング」でよかったが、ハッチングはあきらかにペインティングではない。したがって油彩以前の絵画に「ペインティング」の意味を当てはめるのは無理がある。その意味では絵画の一般的概念を覆すほどのものということになる。

 ハッチングの意義はトーンをつけられない素材にトーンをつけることができるというだけではない。それは線の集合、疎密によるものだが、立体感をイメージしながらトーンがつけられるということも重要なことだ。例えば面に沿って何本も線を走らせる。面の角度が当然変わるが,今度は変わったその角度に応じて線を引く、その線描同士が重なったところは濃くなる。こうしたことを繰り返して立体としての表現が可能となる、しかもその線描の抵抗感がモヤーッとしたトーンではなくある程度質感も感じさせる。

 こうしたことらアカデミックな造形修業的意味のデッサンも立体感をイメージしながらハッチング的に線描を重ねるという手法がとられる。陰影がモヤーッとしてないデッサンはそうして描かれたものと解釈できる。
 この技法は線描を残す場合もあるが、古典の先達の作品などみると、ほとんどそれとは認識されないくらい見事に消されているのもある。
 またハッチングそのものでないにしても、そのヴァリエーションとして見られるような線描の絵画もある。青木繁の「海の幸」、ビュッフェ、佐伯、ゴッホもそうかもしれない。

 いずれにしろどんな技法も始めに名前ありきではなく、その成り立ちの経緯から判断すれば、造形の本道に根を下ろした工夫や必要性から生まれたものであり、それゆえに単なる手練手管では終わらないのである。