絵は夢中で描いていると良いのか悪いのか自分で判らなくなる時がある。以前描いた絵を時間を置いて再び見た時、なんでこんなのにサインをしてしまったのか!と自分で恥ずかしくなるような場合もあるし、その逆でうまくいかず嫌になって放置していたものが以外と捨てたもんでもなかったようなこともある。

ベテランになればなるほどこうした出来不出来に対する判断が時間を置かず、その都度、自分で的確にできるようになると言えるだろう。
 かく言う私も今、以前描いた絵を引っ張り出して相当描き直ししている。中にはほとんど全面描き直しというのもある。私の判断では自分でわからなくなるというのは、人間の五感とは良い意味でも悪い意味でも外部の状況に慣れてしまうということにあると思う。

 例えば視覚について言えば客観的には、狂った形でもそういうものに慣れて狂いとして感じなくなるということである。そこでこのことを克服するには自分の作品を自分から離れて客観的に見るということである。
 一番多く誰でもがやるのが作品を物理的距離をおいて見る、つまり文字通り離れて見るということである。ただこれは私の経験では限界があるし号数に応じて離れる距離も多く必要という気がする。例えば100号の大作だとかなり広い空間を要する。

 そこでそれを写真に撮る。写真の紙焼きでもよいしパソコンで取り込んで見る。そうするとたとえば調子が飛んでいたり、トーンバランスが悪かったりしてるのが一目瞭然だったりする。
 私がよくやり、てきめんに効果あるのが「鏡の逆画像」を見ると言うことである。これは特に人物画に良い。あまりの狂いに愕然とする場合さえある。左右の目の大きさの違いなど。描いてる時は不自然は感じなかったのに逆で見ると凸部が凹んでいたりする。
 これは風景画のパースペクティヴなどの狂いやものの前後関係などの不自然もハッキリわかる。こうした狂いはシビアに作品の客観的評価に直結するから恐い。

もう一つは合評会や展覧会などで、ズバリ作品を他人の作品の中に置くということである。こうすると色彩やフォルムの強弱、マティエールのコク、描き込み具合など一目瞭然である。しかしこれはそういつも機会があるわけではない。そこで他人の画集を見ること。これは効果大である。ただ書店にあるようなのは美術史上の巨匠ばかりであまり参考にならない。かといって日本人作家のは手練手管やスタイルに気を取られたり。売らんかなの「手抜き作品集」であったり画歴などに惑わされたり逆効果の場合さえある。

 そこで良いのは古本屋にある過去の展覧会の「カタログ」画集。値段も安く印刷も良い。あまり日本では知られてない作家でも作品にはハッとするようなものによく出会う。私個人はこれでだいぶ勉強させられた。バイブルのようなものになったのもある。

 最後は純粋造形上のこと。例えば人物など描く場合、その人物だけを一生懸命見るが、時にはその周りの輪郭を見ることである。つまり、モテイーフそのものをポジとするとそのネガを探る事。例えば、手を腰にあてたポーズの場合手や腰ばかり見るのではなく、その手と腰が作る三角の空間の形、角度、面積などを的確に捉えること。そうすれば自ずから手や腰の角度やフォルムを正しく捉えたことになる。

 これらはあくまでも造形の補完的なことではあるがプラス効果は間違いないことと信じている。