今回の列車事故の原因は私の考えではスピードの出しすぎだと思う。
では何故スピ-ドを出さなければならなかったのか?
20年位前知人の作った出版社を手伝っていたことがある。時は「国鉄」の分割・民営化が大きな政治的関心事で、国鉄問題に関する著作を、組織的にさばけるということもあって扱っていた。
4っつほどあった国鉄の労組のうち、分割・民営化に反対する国労・動労はその顧客だった。
しかし当時の世論やマスコミの論調は、国鉄の大赤字とその親方日の丸的体質を改めるべきとの趣旨であり、結果として政府与党の分割・民営化政策が実現され、国鉄はJR北海道、JR東日本、JR東海、JR九州、そして件のJR西日本に分割・民営化された。
しかし赤字や親方日の丸的体質はもとより経営権のない国鉄労働者が作ったものではない。旧来からの政府、運輸官僚や族議員、天下り官僚等が長い年月かけて累積させたものである。
そうしたエスタブリッシュの責任論を棚上げし断行されたものは大幅な人員削減と「精算事業団」などを通じて、分割民営化に協力するものから雇用を保証していくと言う「不当労働行為」にも似たリストラそして民間企業としての「競争原理」の導入である。
因みに東京駅の赤レンガを利用しての「ステーションギャラリー」はJR東日本の資産を元に設立されたもので、此処でやった「17世紀風景画展」を見に行った事がある。「この美術館、累積赤字や雇用の受け皿、としてできたんだな!?」と思うと複雑な思いがした。中にいた人も美術館の学芸員と言うより元国鉄労働者と言う感じだった。
さて件の競争原理には一分一秒でも遅れてはならないと言う事が含まれる。それに伴う厳格な労務管理もある。そうしたものが件の運転手の頭をよぎったであろうことは間違いあるまい。彼自身も人生が23年で終止符がうたれたのである。安直な批判は慎むべきであろう。
「狭い日本そんなに急いでどこへ行く」というキャッチフレーズがあった。これは、働き蜂社会とか土建屋国家とかエコノミックアニマルとか世界から揶揄された生産性至上主義への反省から「ゆとりある社会」へ向けたものである。時間通りに着いたら拍手するような、イタリアのような「いい加減」なところがあったら少なくてもこの種の事故はなかっただろう。
いろいろんな意味でこの国が抱える構造的な問題を感じさせた事件だった。
では何故スピ-ドを出さなければならなかったのか?
20年位前知人の作った出版社を手伝っていたことがある。時は「国鉄」の分割・民営化が大きな政治的関心事で、国鉄問題に関する著作を、組織的にさばけるということもあって扱っていた。
4っつほどあった国鉄の労組のうち、分割・民営化に反対する国労・動労はその顧客だった。
しかし当時の世論やマスコミの論調は、国鉄の大赤字とその親方日の丸的体質を改めるべきとの趣旨であり、結果として政府与党の分割・民営化政策が実現され、国鉄はJR北海道、JR東日本、JR東海、JR九州、そして件のJR西日本に分割・民営化された。
しかし赤字や親方日の丸的体質はもとより経営権のない国鉄労働者が作ったものではない。旧来からの政府、運輸官僚や族議員、天下り官僚等が長い年月かけて累積させたものである。
そうしたエスタブリッシュの責任論を棚上げし断行されたものは大幅な人員削減と「精算事業団」などを通じて、分割民営化に協力するものから雇用を保証していくと言う「不当労働行為」にも似たリストラそして民間企業としての「競争原理」の導入である。
因みに東京駅の赤レンガを利用しての「ステーションギャラリー」はJR東日本の資産を元に設立されたもので、此処でやった「17世紀風景画展」を見に行った事がある。「この美術館、累積赤字や雇用の受け皿、としてできたんだな!?」と思うと複雑な思いがした。中にいた人も美術館の学芸員と言うより元国鉄労働者と言う感じだった。
さて件の競争原理には一分一秒でも遅れてはならないと言う事が含まれる。それに伴う厳格な労務管理もある。そうしたものが件の運転手の頭をよぎったであろうことは間違いあるまい。彼自身も人生が23年で終止符がうたれたのである。安直な批判は慎むべきであろう。
「狭い日本そんなに急いでどこへ行く」というキャッチフレーズがあった。これは、働き蜂社会とか土建屋国家とかエコノミックアニマルとか世界から揶揄された生産性至上主義への反省から「ゆとりある社会」へ向けたものである。時間通りに着いたら拍手するような、イタリアのような「いい加減」なところがあったら少なくてもこの種の事故はなかっただろう。
いろいろんな意味でこの国が抱える構造的な問題を感じさせた事件だった。