Ψ転載記事(以後別個所から援用した拙文のことを言う)
先ず長い年月をかけてローマを中心とした宗教的エスタブリッシュは、王侯貴族などと供にそれ自体が一つの「権力化」してしまい、政治や経済の諸システムと同じような「社会性」を帯びてしまったということがあります。当時のローマ法王などは宝石やキンピカの衣装でその権力を象徴していたそうですから。
それに伴っていろいろ争いや混乱や生臭い経緯があったのはご存知の通り。プロテスタントも東方正教会も元々は一つのものだったのです。
したがって、そういうものが教える教条的キリスト教義より、純粋で、人間の内面を反映した芸術がキリスト教世界のエピソードを借りて表現されるということは十分ありえることです。
それはまた芸術家の創造性が入り込む余地を生むということですし、「信仰心の希薄な」画家自身にも都合がよかったと思います。私などは申し訳ないですが「キューピッド」と「エンゼル」が混同するような、神話を含め混沌とした世界のほうが魅力がありますが。
もう一つはモーゼの10戒以来もともとユダヤ、キリスト教では偶像崇拝を禁止しています。偶像を崇拝すると言う事は心の問題を疎かにするということですし、「神」に形を与えると言う事は許されないからです。
因みにイスラム教では偶像はありませんし、プロテスタントでは、神と人間に間に存在するものはないと言う見地から、多くの宗教芸術のモティーフとなった「聖人」の存在自体を認めていません。
これが具体的運動となったのが8から9世紀にかけて吹き荒れた「イコノクラスム」(偶像破壊運動)です。
しかしその後これは大転換されます。それを突き動かしたのはやはり神の世界の住人達の図像的魅力ではないかと思います。
その後数百年をかけて「公会議」などのたびに、礼拝(祈りの対象)としての偶像崇拝はいけないが崇敬(原像想起や尊敬、精神生活の支えなど)の為なら許されるとか、言語の壁(文盲、外国布教など)を乗り越えるためには偶像は必要などの理由で一定の偶像崇拝は公認されていきました。
その後のルネッサンスでの宗教美術の繚乱や東方のイコンなどの地位はご存知の通り。
我が国においても「踏絵」や「マリア観音」において「偶像崇拝」は深刻な問題であったようですし、現ローマ法王が長崎訪問の際に秀吉に殺された「26聖人」の殉教像の前で顔を手で覆い額ずいていたシーンなどに偶像・図像のエネルギーの大きさを感じます。
さて聖母マリアの衣装は内衣(キトン)、外衣(マントまたはガウン)と頭にかけるショールのようなものにわけられます。キトンについては↓
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/ancients/wear.html
下着については???(^^)
そのうち西方では外衣が青、内衣は赤と大体決まっています。一度古典絵画を検索してみてください。ほとんどそうなっている筈です。
このうち一番貴重だったのは「天然群青」から作られるウルトラマリンです。
これはラピズラズリという宝石級の石を粉砕して作るもので、緑色に変色する「岩群青」のウルトラマリンと区別されます。
これはあまりに貴重であったために「聖母マリアのマントのみ御用達」であったと言われています。
なお、青と赤は図像学上の決まりで、青は理知的なもの、赤は感情的なものの象徴とされています。ただ前回書いたように「無原罪」の聖母の服は純粋を示す白となっています。ついでにムリリョの絵検索してみてください。
なお、この色配分は北方あるいは東方では内と外が逆になっている場合があります。
例えばブルガリアのイコンではマントの方が赤でキトンの方が青となっています。
先ず長い年月をかけてローマを中心とした宗教的エスタブリッシュは、王侯貴族などと供にそれ自体が一つの「権力化」してしまい、政治や経済の諸システムと同じような「社会性」を帯びてしまったということがあります。当時のローマ法王などは宝石やキンピカの衣装でその権力を象徴していたそうですから。
それに伴っていろいろ争いや混乱や生臭い経緯があったのはご存知の通り。プロテスタントも東方正教会も元々は一つのものだったのです。
したがって、そういうものが教える教条的キリスト教義より、純粋で、人間の内面を反映した芸術がキリスト教世界のエピソードを借りて表現されるということは十分ありえることです。
それはまた芸術家の創造性が入り込む余地を生むということですし、「信仰心の希薄な」画家自身にも都合がよかったと思います。私などは申し訳ないですが「キューピッド」と「エンゼル」が混同するような、神話を含め混沌とした世界のほうが魅力がありますが。
もう一つはモーゼの10戒以来もともとユダヤ、キリスト教では偶像崇拝を禁止しています。偶像を崇拝すると言う事は心の問題を疎かにするということですし、「神」に形を与えると言う事は許されないからです。
因みにイスラム教では偶像はありませんし、プロテスタントでは、神と人間に間に存在するものはないと言う見地から、多くの宗教芸術のモティーフとなった「聖人」の存在自体を認めていません。
これが具体的運動となったのが8から9世紀にかけて吹き荒れた「イコノクラスム」(偶像破壊運動)です。
しかしその後これは大転換されます。それを突き動かしたのはやはり神の世界の住人達の図像的魅力ではないかと思います。
その後数百年をかけて「公会議」などのたびに、礼拝(祈りの対象)としての偶像崇拝はいけないが崇敬(原像想起や尊敬、精神生活の支えなど)の為なら許されるとか、言語の壁(文盲、外国布教など)を乗り越えるためには偶像は必要などの理由で一定の偶像崇拝は公認されていきました。
その後のルネッサンスでの宗教美術の繚乱や東方のイコンなどの地位はご存知の通り。
我が国においても「踏絵」や「マリア観音」において「偶像崇拝」は深刻な問題であったようですし、現ローマ法王が長崎訪問の際に秀吉に殺された「26聖人」の殉教像の前で顔を手で覆い額ずいていたシーンなどに偶像・図像のエネルギーの大きさを感じます。
さて聖母マリアの衣装は内衣(キトン)、外衣(マントまたはガウン)と頭にかけるショールのようなものにわけられます。キトンについては↓
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/ancients/wear.html
下着については???(^^)
そのうち西方では外衣が青、内衣は赤と大体決まっています。一度古典絵画を検索してみてください。ほとんどそうなっている筈です。
このうち一番貴重だったのは「天然群青」から作られるウルトラマリンです。
これはラピズラズリという宝石級の石を粉砕して作るもので、緑色に変色する「岩群青」のウルトラマリンと区別されます。
これはあまりに貴重であったために「聖母マリアのマントのみ御用達」であったと言われています。
なお、青と赤は図像学上の決まりで、青は理知的なもの、赤は感情的なものの象徴とされています。ただ前回書いたように「無原罪」の聖母の服は純粋を示す白となっています。ついでにムリリョの絵検索してみてください。
なお、この色配分は北方あるいは東方では内と外が逆になっている場合があります。
例えばブルガリアのイコンではマントの方が赤でキトンの方が青となっています。