アメリカの歴代の大統領を振り返ると、メンタル力は政治的リーダーシップに不可欠な要素であることがわかります。そして、不断の努力によって、メンタルが強化できるということも明らかです。

初代大統領のジョージ・ワシントンは懸命に努力することで、その激しい気性をコントロールできるようになりました。その結果、すべてのアメリカ人の理想といわれるまでになりました。

またエイブラハム・リンカーンは、重い抑うつを克服しました。勇気と沈着さを身につけ、周囲の人たちを磁石のように引きつけました。

フランクリン・ルーズベルトの例はもっと顕著です。ルーズベルトの前半生を見ると、無頓着で尊大な人物でした。それが39歳の時、重いポリオにかかってしまいました。記録を読むと、その後の7年の間、苦闘しながら自己改造を試み、ついには共感と忍耐と自己認識を兼ね備えた立派なリーダーになったと書かれています。

リチャード・ニクソンは、不遇の時代にこそ自分を変えられると考え、実際にいい線までいきました。ただし、自分のなかの悪魔を完全に抑えることができず、最後には失墜してしまいました。

ビル・クリントンは、自制心を身につけようと努力し、ある程度は成功しました。が、トラウマを完全には埋めることができませんでした。そして大きな代償を支払うはめになりました。

自己認識力を身につけ、自制心を養うといっても、だれにでもできることではありません。ギリシャの古いことわざに「他人の心を操りたいなら、まず自分の心を操れ」とあります。

 


國岡徹

優れたリーダーになるには、ある程度のEQ(心の知能指数)が必要です。ところが、なかには一発屋というか、EQはさして高くないにもかかわらず、ある特定の人々の心をしっかりつかんでいる人がいます。

問題は、一発屋は別の組織に移っても成功を繰り返すことができないということです。ただ幸運によって、自分の熱意と組織全体の熱意のベクトルがたまたま一致しただけであり、おそらく別の組織では通用しないでしょう。かたや真のリーダーは、さまざまな状況において、さまざまな人たちと気持ちを一つにすることができます。

一発屋の人たちも、ある程度までならば、EQを習得できるでしょう。EQの発露の一つは状況認識です。つまり、周囲にあるさまざまなシグナルを読み取って、何が起こっているのか、だれかに言われずとも理解できる能力です。この能力は、いろいろな人と接触し、相手の反応を観察しなければ務まらない仕事に就けば、すぐ磨くことができるはずです。

たとえば、ロッシュのCEOであるフランツ・フンメルは、微妙なシグナルを見逃さず、意見の変化を見抜くことに秀でています。ガレス・ジョーンズが彼本人から聞いたところによると、フンメルは20代の半ば、旅行ガイドの仕事をやっていた時、状況認識の力に磨きがかかったのだそうです。

当時、フンメルの収入はお客からのチップだけでした。たとえば100人の団体旅行者を案内している時、そのなかのだれがチップをくれそうなのか、勘が効くようになったのだと。こうして、どこに注意を向けるべきかがわかるようになったのだそうです。

いずれにしても、EQのある一面だけを強調するのは考えものです。多彩なスキルのバランスが崩れると、むしろ人間関係にマイナスに働くことがあります。

自己認識力が高くとも、共感力に劣っていれば、自分のことばかり考える人間になってしまうかもしれません。逆に共感力が高すぎると、「あの人は本当のところ、どのように思っているのか、皆目正体がわからない」という印象を与えかねません。自己管理に長けていても透明性が低ければ、中身に欠けるといわれるでしょう。

最後に、リーダーには全体像を見渡すために、部下たちを冷たく突き放した目で見なければならない時もあります。EQに優れたリーダーは、手綱を締めるべき時を心得ているものです。


國岡徹