「川は静かに流れ」 Down River
ウーン、この感じは何だろう、
文庫本で568ページのこの作品
中間を過ぎた295ページに書かれていた、
私の予想と異なるある結末を読んだ途端、
これまで感じていたこの作者に対する
違和感が霧散した。
謝辞を最初に置くアメリカン・ミステリーはめずらしくなく、
ジョン・ハートも、本作の最初の謝辞で次の様に書いている。
「家族崩壊は豊かな文学を生む土壌であると、
わたしは折にふれ発言してきたが、心からそう思う。
この肥沃な土壌は、犯罪や秘密という種を蒔いて緊迫感あふれる
物語にまで育てるにうってつけの場所だ。
裏切りがもたらす傷は深く、悲しみはいつまでも消えず、
記憶は永遠に残る。
作家にとってまさに天からの恵み以外の何物でもない。」
殺人事件の加害者として告訴された主人公「アダム」は、
無実として釈放され故郷を離れていたが、
昔の友人からの電話で故郷に戻ってきた。
創世記でエデンの園を追われたアダムとエバを連想させる
「アダム」、“無実の罪”を背負い、
周りからの“迫害”を受けるアダムの心を救ったのは、
全てを捨ててアダムと共に人生を歩むことを決断した
一人の女性の存在だった。
この物語では、人が犯した過ち・罪に対して、本人の謝罪の言葉、
あるいは他者から厳しく罰せられる言葉は敢えて省かれ、
犯した罪は自らが償うか
あるいは、「人間の弱さに起因する罪」に対する「赦し」の感情は、
読者の手に委ねられていた。
アメリカ南部の大農場を舞台に、人間の心の多面性と
“赦し”を「崩壊した」家族の悲劇として描いた2007年の
ジョン・ハートのこの物語は、
次のような象徴的言葉で締めくくられていた。
「しかし水は流れている。
万物を疲弊させながら、
みずからは何度も再生し、
同じ広大な海に注ぎこんでいる。」
「人間はしょせん人間であり、神の手はいたるところに存在する」
本作品は2008年度のMWA最優秀長編賞を受賞。

