前髪をバッサリ切ったせいで

昭和の時代劇に出てくる赤ちゃんになった


男にとって(私にとって?)、自分の子供というものは不思議な存在で、簡単に言うと、自分の人生を再度やり直している感覚がある


自分が30、40年前に、親からしてもらった事を、今、自分が子に行っており、今、自分が子に行っている事は、自分が30、40年前に、親からしてもらった事である、と、まぁ 当たり前の事だけど、その当たり前を感じて、その当たり前の中にある、その当時、親が自分にしてくれた事ひとつひとつに、今更ながら、改めて素直に感謝をしている


独身の時には一切視界に入らなかった、地域社会との繋がりや、病院(小児科)、保育園、近場の公園、家族向けショッピングモールなど、子供ができると視界が180度変わり、自分ひとりの限界と、人間はひとりで全てはできないからこそ、人間社会の支え合いを、いい意味で真っ直ぐ受け止める事ができるようになった


守るべきものがあるのは、攻めの姿勢や動き回るものと比較して、一見すると弱そうに見えるけれど、実のところ、自分の限界を知る事で、弱いからこそ家族や周りで支え合い、支え合う事で信じ合い、延いては、ひとりではできない事、ひとりで攻め続けていては一生辿り着けない、人間本来の営みに、微かな光であるものの、確かな光に辿り着けると感じている


弱いだからこそ、強く無いからこそ、完全じゃないからこそ、ひとの痛みを感じる事ができ、ひとの優しさに触れる事ができ、ひとの生命の尊さ、微かながら確かな温かな光に触れることができる


時代が、あなたの時代に変わっても、永遠に変わらない価値を、あなたにも触れてみてほしいと願っている