神に導かれた地 高野山
開創から1200年をむかえた高野山。
2004年7月には、熊野、吉野・大峰とともに、ユネスコ世界遺産に登録されている。
この地は、 奈良時代から平安時代を生き、真言宗の開祖として知られる、日本仏教界の偉人、弘法大師・空海が修禅道場としてひらいた場所だ。
高野山は、当時も、また現在でも交通の便の良い場所とは言えない。
「八葉蓮台(はちようれんだい)」と呼ばれる八つの山に囲まれた盆地であり、まさに山上にある。
当時の都、平安京からは、少なくとも3日はかかる。
なぜ空海はこの地を選んだのか?

都の華やかさから一定の距離を置き、人々の往来の少ない静かな山の中が僧の修行の場所として理想的だ、という現実的な理由ももちろんあっただろう。
それともうひとつ。高野山が選ばれた理由として、こんな逸話が残されている。
遣唐使として唐に渡り、2年をすぎて日本に戻る際、明州の港で、「唐で学んだ密教を広める、根本道場を建てるのにふさわしい場所をしめしたまえ」と、手に持っていた三鈷杵(さんこしょ)(密教法具のひとつ)を空中に投げ上げたところ、それは雲に乗って日本の方角へ飛んでいった。
日本に戻ったのち、道場にふさわしい場所を求めて諸国をまわっていると、奈良で白黒2匹の犬を連れた狩人に出会う。
狩人に「ふさわしい場所はないか?」と尋ねると、「この犬に案内させましょう」と言い、空海は2匹の犬に導かれるまま高野山へと向かった。
途中、夜を明かすために神社に立ち寄ると、夢枕に女神が立ち、「あなたがこの山に来られたのは私の幸せです。この山を永久に献上します」と告げられた。
高野山に着き、現在壇上伽藍(だんじょうがらん)が建つ場所まで行くと、そこに生える松の枝に、空海が明州で投げた三鈷杵がかかっていたという。
さきの狩人は狩場(かりば)明神、女神を丹生(にう)明神といい、この高野山の地主神だった。
そして816年、空海は「この場所こそが自分の求めていたところだ」と、ときの帝、嵯峨天皇に高野山の地を求め、認められて下賜(かし)されることになった。
すぐに空海は伽藍(僧院、修行の道場)の造営にとりかかる。
このとき、まず最初に建てたのが、狩場明神、丹生明神をまつるお社だったと伝えられる。
狩場明神、丹生明神という神に導かれた地、高野山を真言密教の修行のための中心的な場所として選んだ空海。
この逸話から、空海は仏教の教えだけでなく、日本古来の神をも同時に崇める「神仏習合」の思想を持っていたと考えられている。
(再掲)
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