今年初めての墓参ウォークp(^^)q
昨日は隣駅、横浜緑区長津田の大林寺に寄り、嘉元元年1303年秩父産緑泥片岩、見事な青緑色の板碑を愛でつつ、お墓までウォーキングです!

一昨日図書館で、鎌倉~室町の板碑について調べましたが、此処横浜のように、町田を通る鎌倉街道沿い以外にも、相模川、境川、鶴見川沿いの鎌倉武士居住の台地に、多いことが分かりました!
拙者実家集団墓地から徒歩10分!横浜市と接する奈良谷戸の菩提寺裏の丘から、恩田川を挟んだ向う側の台地上ビル群が、拙者の実家、生まれ育ったところ!


菩提寺隣の丘には、鎌倉攻めで町田市内を通過した、新田義貞の休息地伝承『鞍掛の松』があります(^^)v小島資料館近くには、新田義貞が兵士に「並べー」と言ったので、奈良米、なる地名があるとか(^.^)b

さて拙者実家集団墓地に隣接するのは、戦国小田原北条氏の前線砦である、成瀬城!
拙者祖先の墓地は、成瀬駅新設に伴う市街地開発移転前は、成瀬城下の字、根小屋←城主の宿舎跡
にございました!

父と兄の墓参を終え、隣のお墓の、同姓同級生の墓参をしていて、ふと思う…。
同姓の新選組隊士いたな…。
伏見の戦い前に10才代前半の、年少見習隊士である近藤土方召抱人として、市村鉄ちゃん、井上源三郎さん甥の泰助さんらと一緒に入隊。
流山以後は歳さん付属として、国府台から箱館まで嶋田魁さんと共に、歳さんから離れなかった、同姓の音造、乙三くんの消息!
鉄ちゃん同様、歳さんから密命を帯びたのだろう。5/1五稜郭から姿を見せなくなる。
鉄ちゃんが彦五郎さん家に行ったなら、音ちんは彼女の名前まであれだけの手紙に書き送った鹿之助さんと、掛軸の書まで送った、従兄弟で義甥の道助くんが住む、町田市小野路では。などと妄想していたのだった。
歳さんの書の先生、川向こうの親戚本田さんや、実兄の養子先調布の糟谷さん家かもしれないな。
今にしても、歳さんの遺したものが、目に浮かぶようだった。

一昨日図書館で、鎌倉~室町の板碑について調べましたが、此処横浜のように、町田を通る鎌倉街道沿い以外にも、相模川、境川、鶴見川沿いの鎌倉武士居住の台地に、多いことが分かりました!
拙者実家集団墓地から徒歩10分!横浜市と接する奈良谷戸の菩提寺裏の丘から、恩田川を挟んだ向う側の台地上ビル群が、拙者の実家、生まれ育ったところ!


菩提寺隣の丘には、鎌倉攻めで町田市内を通過した、新田義貞の休息地伝承『鞍掛の松』があります(^^)v小島資料館近くには、新田義貞が兵士に「並べー」と言ったので、奈良米、なる地名があるとか(^.^)b

さて拙者実家集団墓地に隣接するのは、戦国小田原北条氏の前線砦である、成瀬城!
拙者祖先の墓地は、成瀬駅新設に伴う市街地開発移転前は、成瀬城下の字、根小屋←城主の宿舎跡
にございました!

父と兄の墓参を終え、隣のお墓の、同姓同級生の墓参をしていて、ふと思う…。
同姓の新選組隊士いたな…。
伏見の戦い前に10才代前半の、年少見習隊士である近藤土方召抱人として、市村鉄ちゃん、井上源三郎さん甥の泰助さんらと一緒に入隊。
流山以後は歳さん付属として、国府台から箱館まで嶋田魁さんと共に、歳さんから離れなかった、同姓の音造、乙三くんの消息!
鉄ちゃん同様、歳さんから密命を帯びたのだろう。5/1五稜郭から姿を見せなくなる。
鉄ちゃんが彦五郎さん家に行ったなら、音ちんは彼女の名前まであれだけの手紙に書き送った鹿之助さんと、掛軸の書まで送った、従兄弟で義甥の道助くんが住む、町田市小野路では。などと妄想していたのだった。
歳さんの書の先生、川向こうの親戚本田さんや、実兄の養子先調布の糟谷さん家かもしれないな。
今にしても、歳さんの遺したものが、目に浮かぶようだった。
掃部山にカモン(^O^)の巻!
先日浦賀に行った時の事。浦賀奉行所は石垣や、下田奉行所から移転時の石が使われてたりスゴいですね!神奈川奉行所なんて、何も残ってないですよ!
と、此処です!
開国時の外務省かつ神奈川県庁なのですよ!と説明があります。

運上所のお仕事は、国の直轄事業となり、クイーンの塔の横浜税関となります。市中取締のお仕事は、神奈川県庁のお仕事で、運上所跡地にキングの塔の県庁が建てられます。

左の奉行所跡碑が、県知事名でなく横浜市長名なのは、廃藩置県以降幕府直轄だった地方自治の市中取締が、市に移行された事を物語ってますね!

現在この地は、県立四施設、音楽堂←コンサートホール、能楽堂、青少年センター、図書館となり、拙者も出張で何度もお仕事しておりますが(^^)v
その裏手が明治になって掃部山と名付けられたのは、徳川三百年の鎖国を転換した開国の立役者!第一回大河ドラマの主役!維新では譜代藩ながらも新政府軍中核となった、彦根藩主井伊大老は通称、掃部頭かもんのかみでございます。安政の大獄、桜田門外に散った彼の花の生涯に対して、彦根の人達は、開国のこの地に顕彰せねばならなかったのです。

井伊公君
『ふりながら きゆる雪あり 上巳こそ』
豊玉

豊玉発句集の32句めです。

背景のランドマークタワー、横浜銀行本店、三菱重工ビル、ドコモ通信タワー!みなとみらいの現代の繁栄を見守る、井伊大老の後ろ姿は象徴的な絵ですね!

と、此処です!
開国時の外務省かつ神奈川県庁なのですよ!と説明があります。

運上所のお仕事は、国の直轄事業となり、クイーンの塔の横浜税関となります。市中取締のお仕事は、神奈川県庁のお仕事で、運上所跡地にキングの塔の県庁が建てられます。

左の奉行所跡碑が、県知事名でなく横浜市長名なのは、廃藩置県以降幕府直轄だった地方自治の市中取締が、市に移行された事を物語ってますね!

現在この地は、県立四施設、音楽堂←コンサートホール、能楽堂、青少年センター、図書館となり、拙者も出張で何度もお仕事しておりますが(^^)v
その裏手が明治になって掃部山と名付けられたのは、徳川三百年の鎖国を転換した開国の立役者!第一回大河ドラマの主役!維新では譜代藩ながらも新政府軍中核となった、彦根藩主井伊大老は通称、掃部頭かもんのかみでございます。安政の大獄、桜田門外に散った彼の花の生涯に対して、彦根の人達は、開国のこの地に顕彰せねばならなかったのです。

井伊公君
『ふりながら きゆる雪あり 上巳こそ』
豊玉

豊玉発句集の32句めです。

背景のランドマークタワー、横浜銀行本店、三菱重工ビル、ドコモ通信タワー!みなとみらいの現代の繁栄を見守る、井伊大老の後ろ姿は象徴的な絵ですね!

今日は画像がありません。
先日叔母が、拙者小学4年の時だと思うが、8km離れた真冬の叔母の家へ、2歳上で身長は同じだが、顔は似ていない双子のような兄と、2人で歩いて現れて、あまりの元気さに驚いたw(°O°)wと、思い出を語った。
早死にした兄とは、冷戦した事もあったけど、生涯を通じれば、仲良しだった。
なぜ若死したのか。
歳さんに通じる母の家系は、早すぎる死が多い。
そんなに死に、急がなくても…。
兄が亡くなって、10年の節目なので、今年は人目もはばからず、お墓の前では、声を上げて泣いてしまうかも…
早死にした兄とは、冷戦した事もあったけど、生涯を通じれば、仲良しだった。
なぜ若死したのか。
歳さんに通じる母の家系は、早すぎる死が多い。
そんなに死に、急がなくても…。
兄が亡くなって、10年の節目なので、今年は人目もはばからず、お墓の前では、声を上げて泣いてしまうかも…
富山、旅の記録より…
突如として始まる拙者の旅ですが、出張含めて、今や探訪していないのは、徳島県と熊本県のみ。あとの都道府県はピンポイントの、都市ステイが多いですが、全て行った事があるという、我ながら恐るべし(^O^)
本日は富山城から…


模擬天守と郷土博物館だそうで。お堀に映る天守。

富山といえば、薬売り!方式とゆー訳で、幼児の頃、微かな記憶ながら、箱に入ったお薬を精算に来るオジサンが居たなあ。薬売り時代の幼児から、今も市販され拙者服用の富山産特効薬、ケロリン!ネーミングが最強でしょ(^.^)b

あれ?去年の8月で薬効切れ!買い直さなくっちゃ!
次、コノ日は蜃気楼不発の魚津の海!蜃気楼が出現すると、花火上げて知らせるとか?

滑川のほたるいかミュージアム!

おまけは勿論、富山の真っ黒なラーメン\(^O^)/

本日は富山城から…


模擬天守と郷土博物館だそうで。お堀に映る天守。

富山といえば、薬売り!方式とゆー訳で、幼児の頃、微かな記憶ながら、箱に入ったお薬を精算に来るオジサンが居たなあ。薬売り時代の幼児から、今も市販され拙者服用の富山産特効薬、ケロリン!ネーミングが最強でしょ(^.^)b

あれ?去年の8月で薬効切れ!買い直さなくっちゃ!
次、コノ日は蜃気楼不発の魚津の海!蜃気楼が出現すると、花火上げて知らせるとか?

滑川のほたるいかミュージアム!

おまけは勿論、富山の真っ黒なラーメン\(^O^)/

























