いつか子どもが大学に行く時に、芸術系を考えているなら、その学校を勧めたいと思ったほど楽しく過ごしました。

いい学校でしたね。

 

先生も、いい意味でいい加減で。

昼間っからお酒を飲んで赤ら顔で教室内をうろうろしている先生もいましたし、ああ、でもその先生は早くに亡くなったんですよね。それもありと思わせるような先生でした。

 

短大でしたので、専攻科といってさらに2年残ることもできたのですが、残ったのは5人。他のみんなはどこかに就職していったり、石川や京都の陶芸訓練校に行ったり、世界をさまよったり?みんな思い思いに卒業していきました。

窯元の息子たちは、2年間の専攻科を出て、親元に帰っていったって感じでした。

 

同級生は卒業時、20歳。

まだまだこれからですよね。ふらふらしていた子もちらほら。それが許される年齢でした。

 

学校を卒業したら立派な職業につかなければならないという母の強い圧力がありましたが、私は卒業前に、その当時付き合っていた、会社員時代の同僚と結婚してしまいました。

 

まあ、はっきり言うと、逃げたんですね。

 

その時は、そうじゃないと思っていましたが、今は分かります。

私はいろいろなことから逃げたんです。