◎ 第二回

 「むりだよ、動けないんだから」と私は言った。何気ない言葉だった。何気ない自分のその言い方に、後になって責められた。なぜあの時、あんな言葉が出たのだろう。私の心のどこかに、親父の死を他人事のように思う乾いたものがあったのだろうか。

 そういえば、自宅で正月を迎えられるようにと一時帰宅が許された先月の末、付き添って戻った私に親父はポツリと言った。「母ちゃんをたのむ」

 もう死を覚悟した親父の気持ちが痛いほどわかったはずなのに、そのときも、私の返事は「ああっ」で終わった。もっと何か言ってやらなくては、と頭では思うのだが、何も出てこない。

 昨年、秋にお袋から連絡があり、埼玉から栃木の実家に走って、かかりつけの医院に行ったときも、格別の感情は湧かず、淡々と親父への死の宣告を聞いた。

不思議と“悲しい”という気持ちが湧かなかった。俺は、親が死ぬときまで親不孝なのだろうかと、ふっと思ったものだ。

 その足で入院している病院に行き、親父を見舞った。親父は元気だった。いつものように、よっ、と右手を上げ、顔を見せた私に笑いかけた。

 その頃は、何人もの患者がいる大部屋に入っていたのだが、親父の持ち前の気性で直ぐにみんなとは仲良しになれたようだ。3年ほど前に講談社から出た、親父の海軍時代のあれこれを書いた本を部屋のみんなに見せ、自慢話と共に回し読みをさせていた。

 この本はけっこう売れた。子供の頃から、私たちを前にして酒を飲みながら話してくれた海軍時代の悲しい話や楽しい話を、講談社の私の担当編集部長に売り込んで出版の約束を取り付け、親父を説得して書いてもらったものだ。一つには、当時経営していた小さな魚菜市場をたたみ、引退して気落ちしていた親父を励ます意味もあった。

 みなさん今日は。

 私はビジネス作家の斎藤之幸です。

 ビジネス作家としては一応中堅どころですが、長年思い続けた小説への道に恐る恐る踏み出してみました。

 タイトルは『親父さん』。

 親父との永遠の別れの瞬間を軸に、親バカ親父とバカ息子の交流を描いたものです。

 発行は不定期ですが、みなさんどうぞよろしく。

 では第一回です。


◎ 第一回

「ハアー」

 ウトウトしていると、親父のため息がかすかに聞こえた。

 腹に力が入らないためか、もう大きな声は出ない。起きているのかと思ったが身動きがない、目もつむっている、夢を見ているのだろうか。

 私はそっと毛布をはいで、トイレに立った。夜も遅い病院の通路には誰もいない。各病室には何人もの患者が居るはずなのだが、静かだ。蛍光灯に照らされた白い壁が、冬の夜をいっそう寒々と感じさせている。そんな、静まりかえった病院のトイレは、正直言ってあまりよい気持ちのものではない。

 早々に用を済ませ、部屋に戻って、許可をもらって持ち込んだデッキチェアの上であぐらをかいた。親父はかすかに寝息を立てている。布団の端から少し出ている腕は、肉がすっかりなくなり痩せ細ってしまっていた。

 この腕で抱かれたんだよなー。この腕で高い高いをしてもらい、この腕でひっぱたかれた。

 何とか直ってほしいという思いと、もう遅い、無理だという思いが入り混じる。親父が親しくしていたかかりつけの医院の院長は、私の発見が遅れた、申し訳ないと頭を下げてくれた。血圧が高かったオヤジだったから、そのことばかりに気をつかい、ガンの進行に気がつかなかったというのだ。気がついたときには手遅れだった、と。

 この病院に入院して、はじめのころは親父も直るつもりでいたようだ。若い頃に胃潰瘍をやって血を吐いたことがあり、今度も胃潰瘍だといわれて入院したから、そのつもりだったのだろう。

突然、オヤジが動いた。ベッドから落ちないように両脇に立ててある柵につかまり、起きあがろうとする。もうそんな力はないのに、何度も頭を持ち上げようとする。

「どうしたの」と聞くと、「家に帰るんだ」とかすれた小さな声でささやくように言う。