画像は羽生城研究者の冨田勝治氏が作成した「皿尾城址図」です。
皿尾城(埼玉県行田市)の絵図が残されていない現在、
これ以上詳しい址図はほかにないでしょう。
しかし、この址図を等身大で所収している書籍は
いまのところ出版されていません。
冨田さんの著書『羽生城 -上杉謙信の属城-』に、
辛うじて小さく掲載されているだけです。

「皿尾城址図」が作成されたのは、昭和42年12月。
そのとき冨田さんは御歳58。
ぼくなどまだ生まれてもいなかったときのことです。
当時、論文をたて続けに雑誌へ発表し、
館城址の調査を県から委託されていた冨田さんは、
歴史研究家としてまさに油が乗っていた時期だったのでしょう。
「私と皿尾城」と題した冨田さんの手記には、
次のように記されています。

 私が皿尾城に興味を持ったのは、従来の羽生城の記事が、
 いずれも羽生城と皿尾城を混同しているからである。
 これを何とか解明したいと日頃思っていた。
 私は最初自転車で、有名な皿尾の雷電神社にお詣りした。
 青木神主にお願いして『新編武蔵風土記稿』に乗っている[鰐口]を拝見してから、
 わけを話して実測図を拝借した。
 それから約一週間、はじめは自転車だったが後半は電車で通った。
 そして実測図を頼りに全部足で調べた。

このブログのカテゴリ「羽生城をめぐる戦乱の縮図」の中で何度も述べましたが、
冨田さんは現在97歳の現役の研究者です。
「まだまだやり残したことがある」が口癖で、日頃机に向かっています。
97歳という高齢でありながらも、冨田さんは情熱の塊のような人です。
「全部足で調べた」と手記にあるように、当時の冨田さんは、
いまよりももっと熱い男だったのでしょう。
彼と話をしていると、自分の生まれてきた時代が遅かったかのような、
やり場のない後悔を覚えることも少なくありません。

そんな冨田さんが作成した「皿尾城址図」は、
最初に述べた通りどの書籍にも所収されていません。
現在の皿尾城は石碑が建つのみで、
どれが遺構なのか極めてわかり辛いと言わざるを得ません。
だからこそ「皿尾城址図」が必要不可欠なのですが、
ほとんど活用されていないのが現状です。
せめてその存在だけでも知ってもらいたく、
今回この「クニの部屋」で取り上げた次第です。

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