昨日5月30日は田舎の長男の七回忌でした。

遠く離れているせいか、まだ亡くなったという実感が湧きません。

 

67才で、胃がんから肺、肝臓、脳に転移し1年であっと言う間

に逝ってしまいました。

 

兄は私が13才の時 親父亡くなってから、父親替わりで

育ててもらいましたが、歳が離れているせいか、会話らしい

会話もしたことがなく、私が東京に出てくるときは勘当に近い

状態だったので、疎遠になっていました。

 

家内がガンで手術をする時、田舎から義姉と一緒に来てくれてから、話すようになりました。

 

兄が亡くなる半年前、義理の姉の事を頼むと言われていたのですが義姉も兄が亡くなって2年後亡くなってしまい、兄との約束を

果たせなくなってしまいました。

そんな義姉も今年10月で5回忌です。

あっという間に月日は流れてしまいましたが、

 

家内は10年目ですが、正直長いなあ~というのが実感です。

 

 

 

 

 

 

5月5日 孫の陽菜(ひなた)は2才の誕生日を迎えました。

孫の成長は一日一日目まぐるしいものがあります。

 

1週間合わないとびっくりしてしまいます。

 

ちょっと私の姿が見えないと、「じーじは?じ~じは?」と

呼んでいます。

 

私にもこういう時代があったのかと思うと、

愛情を注いでくれた両親に感謝です。

何年ぶりだろうか。家内も「又行ってみたいね。」と言っていた

分杭峠へ行ってきました。

分杭の先の磁場坂を含めて40回は行っているだろうか、

その後どうなっているか気になっていました。

以前は分杭から大鹿村の先の磁場坂へ行っていましたが、

今回は分杭でゆっくりと過ごしました。

連休の5/4でしたが、埼玉から中央道で諏訪インターで降り秋葉街道をひたすら走り、4時間かけ分杭へ向かいました。

 

分杭峠の手前シャトルバスの駐車場を横目に峠を目指しました。

8時過ぎに到着すると、始発のシャトルバスもあとから来ましたが人も12、3人位で、昔のような混雑さはありませんでした。

 

まずは気場へ坂道を下っていくと、ここは昔と変わらずしかし今年は寒かったせいか新緑はまだまだでした。

いつもここには30分くらいで切り上げます。そしてここから200m行った所の水汲み場へ行ってみました。

水汲場はというと、丸太の橋は土砂で流され、そこへ行く小路も

土砂で埋まって、水を汲むホースとパイプ1本だけが多分以前と同じ場所に挿さっていましたが、ちょろちょろと水が流れていましたが、とても水を汲む気にもなれない状態でした。

 

こんなに変わっていたとは、ちょっとショックでしたが、気を取り直し

いつもの場所にシートを敷き、持参した毛布を家内と横になっていると、関西系の6人ぐらいの集団が隣りいいですかと横にシートを敷き始めました。

そして年配の女性(先生と呼ばれていました。)が一人づつ手当を始めました。教祖様ぽっく一人一人15分くらいづつ頭、背中

腰と手を当て、どうですか~っと。

そして山のほうを見てここはダイダラボッチのような大きい神様がいますね~。と言っていました。

私はだま~って見ていましたが、そのうち別の女性が歌を歌い始め、踊りを始め、残りの人たちは周りを囲うように立って踊りを見ていました。こういう光景はどこかで見たことがあります。

確か大宮の氷川神社の池の近くで、5、6人の女性達が、輪になって手を結びぐるぐると回って何か唱えているような光景。

世の中いろんな方がいます。特にこういう場所に来る人は、、、、。

昔は分杭でこういう光景は見たことはなかったのですが。

 

9年前分杭で知り合った人たちはもう来なくなったのでしょうか。

まだ水汲み場まで車が入れてた頃はお互い挨拶もし、世間話をしながらゆったり、まったりとここで反日過ごしたものです。

今は、初めてくる方が多く、30分くらいで帰っていきます。

中には家内と同じようにガンを煩い、ここの情報を聞き、来ているという60台半ばの男性もいました。

治りたい一心で来るのです。

私たちも最初はそうでした。

昔のように座る場所もないくらいのような事はありませんでしたので、ゆっくりと過ごせましたが、隣にいた集団が印象的でした。