クニさんです ^^
今日も「クニブロ。」へようこそ!
学生時代
ドキュメンタリー番組を観たのが
きっかけで、
ある女性 の存在を知り、
私は衝撃を受けました~!
その人の名は…
岡本かの子さん
(1889~1939年 享年49歳)
ダダダダ~ンッ
大正・昭和に活躍した小説家、
歌人、仏教研究家であり、
あの爆発芸術家
岡本太郎氏の母君
であります!
ボブヘアに奇抜な
ファッション&メイク
で目立っていたそうですが、
何より私が衝撃 を
受けたのが
彼女と男性二人との
奇妙な結婚生活
(三人婚) であります!
彼女には人気漫画家で
かなりの放蕩(ほうとう)を
繰り返していたといわれる
夫・岡本一平氏が
おりましたが、
彼女の崇拝者であった
早稲田大学の学生
堀切茂雄氏も共に
夫の了解のもと
同居するようになりました。
↑夫に愛人との同居を求める
妻の感覚も凄いですし…
それを了承する夫の感覚も
凄くないですか?
こんな奇妙な関係でありながら
夫・一平氏はそんな妻のことを
浄瑠璃寺の吉祥天女
に似ている
と 讃美 していたそうな~!
モゥ この人達の感覚
未知の国~!
(*_*)モンゲ~
そしてもう1つ
私が衝撃を受けたのが…
かの子さんと太郎氏との
激し過ぎる親子愛
であります! ボワッ
かつてのドキュメンタリー番組に
よりますと…
太郎氏の子供時代
泣きじゃくる太郎氏を
お芸術のため!
と言って叩き 紐(ひも)で柱に
縛り付けて 彼女は執筆活動
をしていたそうです(壮絶~)。
その当時の心境はかの子さん
の日記(太郎氏10歳の頃)にこう
綴られていています。
私は太郎を拍(う)った後
自分でいつも一人で泣く。
太郎を拍(う)つことは
自分を拍(う)つことだ。
私とそっくりなあの子、
それ故に可愛ゆい。
「婦人画報」大正11年2月号より
↑壮絶場面ではありますが
「可愛ゆい」という言い方が
カワユイ♡ ^^
当の太郎氏は縛り付けられ
泣きじゃくりながらも
芸術のために鬼の形相に
なってしまう激しい母のことが
大好きだった
と後年語っていたそうです。
こんな激し過ぎる親子が
繰り広げる 可愛ゆいと
大好きの
相思相愛
それ故に太郎氏の
芸術が後に爆発
するに至ったのでありましょう …
あの親にして
この子あり
と申しますが…
やはり 親の背中…
あると思います!
今日もあなたの共鳴にありがとう♪
クニさんより♡
《今回記事に入れられなかった
ケド気になったクニコメモ》
☆ かの子は与謝野晶子の
影響を受けていた。
17歳の時 晶子を訪ね雑誌に
作品を発表するようになった。
☆ かの子は夫婦共に親交の
あった川端康成から小説の
指導を受けていたという贅沢。
☆ かの子の兄・大貫晶川と
親交のあった谷崎潤一郎は
終生かの子を評価しなかった。
☆ 1929年一家でヨーロッパへ
外遊。太郎は絵の勉強のため
そのままパリに残った。
⇒画家・岡本太郎となる。