こんにちは

 

 

クンダリーニ症候群の【かすじる】です

 

 

今日はクンダリーニ症候群とも関係のある禅病に関する記事で

よいものがありましたのでシェアしたいと思います

 

 

 

 

特に読んでいただきたいのが、臨済宗・白隠禅師が患った禅病の症状に関する記載です

引用させていただきますと

 

 

一カ月もしないうちに、心臓はどきどきしっぱなし、

呼吸が苦しくなり、下半身は氷に使っているように冷え、

谷の激しい流れのすぐそばにいるみたいな轟音が耳に響きっぱなしになり、

内臓は不調になり、なにかにつけてひどく不安や恐怖にとらわれ、

心も体も疲労困憊し、寝ようとすれば悪い夢ばかり見る。

両脇はいつも汗をかきっぱなし、両眼はつねに涙で濡れている。

 

 

とあります

読んでわかる通りちょっとした体調不良というレベルではありません

ですがクンダリーニ症候群になった方ならばなんとなくわかるのではないでしょうか

 

 

ちなみに私自身は継続的にではありませんが、ここに書かれている

轟音のような音は体験したことがあります

耳をつんざく様なすごい音だったのを記憶しています

内臓の不調、不安や恐怖、疲労感、悪い夢も共感します

 

 

白隠禅師のすごいところは自身が禅病を患ったことと

そこから回復した経験を頼りに多くの禅病患者を救ったことにあると思います

 

 

その病にあった時に習ったとされる軟蘇の法についても別の記事で

書かれていますので、こちらもぜひご覧ください

 

 

 

 

引用しますとこのように書かれております

 

 

「軟蘇の法」の実践方法は、以下のとおりである。

坐禅をしている自分の頭のうえに、鶏卵大の美味しく、

見た目も美しい軟酥がのっているとイメージする。

軟酥が体温で暖められて少しずつ溶け、頭のなかにしみ込んでくる。

すると、頭のなか全体に、軟酥の香りや味がしみ込み、色もきれいになっていく。

やがて軟酥は下降して、両腕・両乳・胸郭・肺臓・肝臓・腸・胃・背骨にも、

その香りや味がしみ込み、色もきれいになっていく。

こうするうちに、心身のなかのあちこちに凝りかたまっていた病巣が、

軟酥が下降していくに連れて溶け出し、下へ下へと流れ去っていく。

そのとき、水が流れるような音がしてくる。

この水はけっして冷たくなく、暖かいとイメージする。

この水の流れは胴体全体を循環し、下に降って両脚に至る。

すると、両脚はジワッと暖かくなる。

両脚からさらに降った水の流れは、足の裏で止まるとイメージする。

流れ降った水の流れは、目には見えない透明な風呂桶にお湯が溜まっていくように、

下半身の周囲を満たす。まるで、温泉に入っているような感じがしてくる。

冷え切っていた全身が暖められて、とても良い気分になる。

そうイメージしながら、この境地を楽しむ――。

以上のような「軟酥の法」を、毎日毎日、実践する。そうしているうちに、いつしか心身の病は癒されていく……。

 

 

この記事には軟酥の法のほかにチベット密教の秘法「甘露降浄法(かんろこうじょうほう)

というものも紹介されています

 

 

私自身は、軟酥の法を集中継続して行ったことがありませんので

実際の治病効果については何とも言えませんが

イメージ操作の仕方がなんとなくゴエンカ派のヴィッパッサナー瞑想に似ているという印象を持ちました

 

 

ちなみにゴエンカ派のヴィパッサナーではただ身体を観察するのみで温度のようなものをイメージすることはありません

その辺が違うように思います

 

 

ヴィパッサナーのほうでしたら私も体験があるのですが、

(ゴエンカ氏の瞑想コースはボランティア含め6回、

他にミャンマーの僧院に1月ほど滞在し瞑想修行したことがあります)

こちらは軟酥の法、甘露降浄法(かんろこうじょうほう)同様疲労の回復効果がありましたので

この3つは方向性として概ね似ているのではないかと私は考えています

 

 

さて記事に話を戻しますが、最初にご紹介した記事では

他にも著者が懇意にしていたとされる高僧の禅病体験についても書かれ

最後はビジネスパーソンの瞑想ブームに警鐘が鳴らされ終わっています

以下引用文

 

 

かつて、わたしが懇意にしていただいた高名な禅僧も、

30歳代の前半で、ひじょうによく似た症状になったとおっしゃっていた。

その方は「深い穴に落ちこんで、下から火であぶられて、

ひりつくような感じで、どうやってもそこから逃げられなかった」ともおっしゃっていた。

しかも、禅病の厄介なのは、治ったと思っても、

ある日、あるとき、突如として、ぶりかえすことだという。

心身ともに回復して、良い気分になり、

寺の裏庭で、ほころび始めた梅の花を見て、そのかぐわしい香を嗅いだ瞬間、

いわゆるフラッシュバックのように、禅病の最悪の症状がよみがえってきたという。

結局、克服するには何年もかかったと聞く。

 

 

突然ぶり返すという点は私も二年前の体験があるのでよくわかりますし

以前のブログをやっていた時に相談に来られた方の中にも

数年単位の長期の方がいらしたので、ネットの数日間で終わったというケースがある一方

長くかかるケースというのはやはりあるようですね

 

 

また、最後の注意喚起ついても私も同意見で

生産性を高めるために瞑想するのは危険な結果を招きかねないでしょう

瞑想は能力開発のためにやるべきものではないと私は思います

 

 

少なくとも能力に並行して慈悲の感情が育たなければ

極端な例を挙げればオウム真理教の麻原彰晃のように社会を害する人間になってしまうかもしれません

 

 

そういう意味で最近のビジネスシーンの瞑想ブームには

ちょっと注意が必要ではないかと感じています

 

 

今日も長々と私見を垂れ流してしまいましたが

以上となります

 

 

読んでいただきありがとうございました