こんにちは、くんです。
いつもお読みくださりありがとうございます
いつも持ち歩いているお気に入りの文房具は
Campusのノートと
PILOTのAcroシリーズのボールペンです
好きすぎてずっとおかわりループ中
前回のお話はこちら↓
前回まで自分の意見が言えなかった私の話をしてきました。
今回は自分の意見が言えないどころか、
自分の意見がそもそもなかった、
意見を持つことをすっかり忘れていた頃のお話です。
中学と言えば大多数の方にとって
高校受験が大きなイベントかと思うのですが
結論から言うと、私は高校受験で志望校に落ちて
失敗しています。
現実的にみると失敗となりますが、宇宙的視点で見ると
面白いもので、ひっくり返るんですね
こう思えるようになったのは、
高校を卒業して何年も経ったあとでしたが。
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私には2つ上の姉がいて
姉は要領も良く、頭もよく親からも信頼されていました。
姉が通っていた進学塾に中学2年から通うようになり
私なりに勉強に励んでいました。
いくつか前のブログでお話した通り
私は中学でいじめに遭っていたこともあり
いじめに遭う私と私自身の価値を無意識に紐づけていました。
そんなこともあり、安心できる親からの愛を
過剰に欲しがっていたのだと今では思います。
私の母は私たちが幸せに生きていけるようにと、
学力や学歴にも厳しい視点を持っていました。
それが最善だと思う母の境遇も相まって
これが母の愛でもあったのです。
当時、受験できる公立高校は、府が決めた学区内のみと
なっていて、姉は上から2番目の高校に通っていました。
そんなこともあり、母は私も通う高校は
上から3番目までじゃないと意味がない、
なんてことを言っているのを聞いてしまい、さぁ大変
私なりの必死さで、要領が良くないなりに頑張りました。
努力しても受験できるのは上から3番目の高校がやっと。
でもその高校は、私が住んでいる市内にあり
全然惹かれなかったんです
体験入学にも行かなかった。
母が望む高校に入ることだけが目的で決めたのでした。
当時の私は暗雲の中にいましたから
これがどういうことなのかなんて考えてもいませんでした。
もちろん同じようになんとなくで決めた学校に通っている子は
0ではないでしょう。
そしてときに、それでも開けていく人がいるのも事実。
でも私の場合、改めて振り返った時に
自分の意志で決めなかったということが大きい。
魅力を感じる要素が何一つなかったんです
いじめていた子たちに会う確率の高い市内に居たくない
制服も中学のままほぼ引き継がれる
塾長はOKを出してくれたけど、
学力も足りているのか不安はあった
当時この声は全く聴こえなかった。
でも振り返るとはっきりと鮮明にあった
母が喜んでくれるかな
母に安心してもらえるかな
母にもっと愛されたい
他に選択肢なんて私には無かった。
自分で考えるなんてことも放棄してたなぁ。
そんなこんなで受けた高校は見事に不合格。
電車で20分かかる私立の高校に通うことに。
不合格の烙印を押されたときは、本当に絶望で
親に申し訳ない気持ちと、自分はだめなやつだという
自己嫌悪でいっぱいでした。
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ちょこっと当時の自分をフォローさせてください
その年私が受けた高校は、3人に1人が落ちる異例の倍率だったようで、同じ塾の子も落ちてました。
と言っても合格する2人に入らんかいという声は聞こえてきますが…
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私立に通うことになった私はというと
中学とは打って変わって最高に楽しい学生生活を謳歌しました
ちょっと遠いこともあり中学の同級生には会うこともなくなり
大好きな音楽の部活に入り没頭したり
未だに付き合いのある先輩、後輩、友人たち。
心の底から落ちたことに感謝しかありません。
大切なことは自分で決める、選択権を委ねない。
私の場合、落ちたのは
私の学力不足であることは間違いないけど
これは私が私に戻るために必然だったと
今ではそう思っています
自分で選んでいこう