数ある京都の観光スポットの中で、今注目を浴びているのが喫茶店です。
戦災を免れた京都には戦前に作られた喫茶店が当時の雰囲気のまま多く残っています。
京都のコーヒー消費量はトップクラスで趣向を凝らした店がここかしこにあります。
数年前、NHKの「美の壺」で京都の喫茶店をテーマにはした放送がありました。
若い頃に通った喫茶店もいくつか登場して懐かしく見ました。
8つの店が出て来ましたが、その中の思い出深い6つの喫茶店のことを聞いて下さい。
「イノダ」
1940年の創業で、広々した空間を贅沢に使って、座席はゆったりと211席あって、テラス席はヨーロッパのcafeのようなたたずまいです。
小学校4年の担任の先生の家が「堺町三条下る」のイノダの隣にありました。
先生の家を訪ねた折に、店のガラスの向こうに大型の円筒型の機械があったのを覚えています。
今思えばあれはコーヒーの焙煎機だったのでしょう。
私のこの店の気に入りメニューはロールパンに海老フライ🦐を挟んだパンランチです。
添えられたキャベツとポテトサラダも美味しいです。
スープが付きます。
以前はそのスープが茶色の小ぶりのふたつきのお洒落な器で出てきました。
連れて行った子供が、その器を気にいって、お店が要らなくったらもらおうねと可愛く言っていたのを思い出します。
コーヒーカップも冷めないように厚めです。
本店は観光客でいっぱいで中々入れないと聞いています。
「進々堂」
京都は日本有数の学生の街です。
京都大学の北門前には1930年創業の京都で1番古い学生行きつけの喫茶店があります。
店のオーナーが1924年にパリに留学した折、カルチェラタンという学生街のcafeで学生達がパン🍞🥐を食べながらディスカッションしたり、読書したり、勉強したりしている風景をみて帰国後開店したのが「進々堂」です。
京都大学は多くのノーベル賞学者を輩出しています。
彼等もこの店で、学びや読書や論議を交わしたのでしょうね。
まさにガロの「学生街の喫茶店」です。
私は布施明の「カルチェラタンの雪」好きな歌のひとつです。
「フランソワ」
1934年創業のイタリア🇮🇹バロック風のレトロな空間の店です。
戦前の喫茶店を伝える建物として喫茶店で初めて国の有形文化財に指定されています。
政府の言論統制が厳しくなった折、反戦を語り、前衛的な文学哲学芸術論が語れる場所を学生達に提供したいという思いでつくられた喫茶店なのです。
懐かしい味のコーヒーと、変わらない店のたたずまいの喫茶店フランソワは高瀬川沿いに昔と同じでお洒落に建っていました。
「ソワレ」
フランス🇫🇷語で「夜会」というこの店もよく訪れていました。
数十年ぶりに行ってみると店の前にはかなりの若い女性客のグループが並んでいました。
喫茶店で並んで待つとは初めてです。
店に入って、私の記憶に残る店の雰囲気とは少し違う感じでした。
東郷青児画伯の絵がいっぱい掛けてあったことが、この店の思い出です。
「花の木」
1966年創業のこの喫茶店も「美の壷」でも俳優高倉健のひいきの店として紹介していました。
ミーハーの私はこのこと知ってかなり以前に訪ねたのです。
高倉健が座ってコーヒーを楽しんだ同じ椅子に座り、店のオーナーから高倉健の話を聞きました。
「健さんって無口だと言われてるけど、よくお話になりますよ」とか、壁に掛かった「ジャン・ギャバンの写真は健さんからの贈り物だと聞いた覚えがあります。
美の壷の内容によると「太秦に撮影所があった頃、スタッフと一緒に訪れて、コーヒーは必ず2杯か3杯飲むコーヒー好きな方でした。関西を訪れたときは必ず店に立ち寄ってくれて映画『あなたへ』を撮った後、訪ねたくれたのが最後でした。
礼儀正しく優しい方でした」というのがオーナーの話です。
近いうちにまた訪ねたいと思っています。
健さんの座っていた椅子です。↓
長くなりますがもう一軒お付き合い下さい。
「長楽館」
円山公園の中に、タバコ王といわれた村井吉兵衛によって1909年に建てられた豪華な建物が喫茶店として営業されています。
敗戦後、占領軍に摂取され荒廃していた建物を長年月かけて修復後、1968年に喫茶店して開店しました。
華麗なしつらえの店内で一寸リッチな気分が味わえます。
アフタヌーンティーを京都で初めて提供したのがこの店です。
こちらも長らく訪れてなくて、物価高騰の折から敷居が高く思えます。
高齢になると西国巡礼に誘われます。
バチあたりの私は札所巡りより喫茶店三十三ヶ所巡りをしたいです。
店で御朱印ならぬ店のサインなどもらいたいものです。
もしかしてすでに33ヶ所喫茶店巡りをしてるかもわかりません。
私の長楽館のスケッチです。大昔の作品です。
読んで頂きありがとうございました。