京都嵐山住人のたわごと
2022・12・26
夫が逝って2か月がたちました。
今もお線香上げに来て下さる方もあって夫の仏前はお花が絶えることはありません。
夫のことだけでブログするのはこれで the end にします。
以下のことはどうしても書きたいと思っていました。
夫を最後まで自宅で看取ったこと多くの方からねぎらいと、お褒めののメッセージ頂きました。
私は不器用で何させてもどんくさいのです。
針持つのいや、料理はじめ家事もそこそこです。
とにかくもの作りが苦手です。
「手先不器用」というと、おしゃべりの私つかまえて「口先器用だからいいやん」といわれてしまいました。
唯一私の自慢は歯が28本全て自分の歯として残っていることだけです。
それに夫の看取りを加えようかとも思ったのですが、よくよく考えたら決して私の手柄でもない私は好条件に恵まれいたのだと痛感しています。
夫はわりに大きな老健施設に5年ほどデイサービスに通っていました。
高年齢で何度か発熱したり肺炎や蜂窩織炎などで救急車🚑で運ばれることが多くなりました。
ケアマネから小規模多機能の施設をすすめられたのです。
今までの費用の倍になることで思案したのですが娘達の意見に従ってその施設にお世話になることになったのです。
夫は数年前から手がかかるようになっていました。
ベットから起こすこと、着替え、ベットに真っ直ぐ定位置に寝かせること、下半身のケアなど、まさにしんどい老老介護がはじまりました。
私は夫の母親の介護も経験したのですが、その時、私も若かったのでそれなりに大変だったけれど、今振り返るとそれほどでもなかったなと思えるのです。
この年齢での介護が重くのしかかり、時には夫に対して荒い言葉で怒鳴り、過去の夫の仕打ちをなじったりで不安定な精神状態が続きました。
私がそうなると夫も反抗的になり悪循環です。
夫を起こす時、急に手を離され転んで私の尾てい骨にヒビが入ったのです。
それから、夫だけでなく私へのケアも含めて、介護士の方の手厚い介護が始まったのです。
私は介護士の方の仕事を直接見る機会はありませんでした。
介護の仕事がいかにプロフェッショナルな技術を要するものだと知りました。
技術だけでなく知識と心映えも必須条件です。
衣服の交換、ベットからの起床、就床などそのひとつひとつが手際良く素早い動作で、しかも夫に苦痛与えることもなく、優しく声かけしながらの作業に感銘を受けました。
辛くしんどいことは全て介護士の方が担ってくれました。
私に精神的なゆとりができておだやかな気持ちで夫に接することができるようになり時には出る夫のわがままも笑いですませるようになったのです。
私よりはるかに若い皆さんから多くを学びました。
60年間の夫との暮らし、決して順風満帆とは言えなかったけど最後の1年間が、私だけの一方的な気持ちだったかも知れませんが,最も友好的な日々だったと思えます。
介護士の方の心使いが、家族の在り方をも変えてくれました。
感謝いっぱいです。
夫との思い出沢山あるけど、この1年間の暮らしで介護士の方に迎えられて車🚙に乗り込む姿が目に焼き付いていて、今まだその光景が出てくるたびに少し涙ぐみます。
夫が居なくなり、あの介護士の方達に会え無くなったことは淋しいかぎりです。
介護士の方の労働条件はあの過酷な内容に比して、あまりにも報酬が低レベルです。
ちなみに新聞の記事によると、世界の国会議員の報酬1位がシンガポール🇸🇬2位がナイジェリア🇳🇬3位か日本🇯🇵だそうです。
ただし諸手当含めると、日本が第1位だそうです。
はたして国会議員のレベルがその報酬に値するかは、近頃の議員の行動言動から見て誰が見ても明白です。
国会議事堂の椅子って、座り心地良さそうです。
いっそ子ども達が教室で座る椅子の大人版にすればいいのではないでしょうか。
安い報酬のなか汗水たらして懸命に働く人達のために我々の税金を使って欲しいのです。
京都の柿の産地である西京区大江に住む友人からもらった渋柿を我が家で吊るして楽しんでいます。
読んで頂きありがとうございました。