退院後は比較的育てやすい息子でした
退院日はたくさん家に人がいたし新しい
環境に疲れたのかよく寝てくれました
うちの母もしきりに
「この子は育てやすい子よ」
と言っていましたし本当に母乳をあげれば
おとなしく寝てくれ、グズってもしばらく
あやしていれば寝てくれ、夜は2〜3時間
おきに泣き出そうとするので泣く前に母乳を
飲ませて少しあやせばすぐ寝てくれた
夜中に2回起きるのは確かに眠いししんどい
けどこのくらいなら乗り越えられる
そう思っていました
朝起きて母乳あげたら変にグダグダしてると
余計に眠くしんどいので顔洗ってやることを
サッサッとやって身体を動かしてたほうが
目が覚めて気持ち的にも全然ラク
母もいてくれたので家事を手伝ってもらい
会陰裂傷が痛いので昼間は母乳あげたらすぐ
母にバトンタッチして横になり、時に寝か
せてもらったりしてたので助かりました
…ただ
日に日に我が強くなってくるのか脳が発達
してくるからかグズりが激しくなる
育てやすい、育てやすいと言っていた母も
言ったことを後悔し始めてる様子
「誰だ、育てやすいって言ってたのは」
と私が突っ込んでネタになるほどに
まぁ、母の孫であり、私の息子なので我が
強く手がかかる子であっても納得せざるを
得ないので静かに受け入れる2人
それでもまだまだこの頃は可愛いもん
母が帰るタイミングで父もこっちに来て
赤ちゃんと対面しました
そしてバタバタと帰っていきました
父は少ししかいなかったけど母は予定日前
からこっちに来てくれていて予定日を1週間
以上過ぎて生まれたので結局3週間ちかく
いてくれたことになりました
本当に目の見えない中、自分の仕事もおいて
父もおいて長い間居てくれました
ほとんど息子をあやしてくれてたので私が
ママと思ってないんじゃないかと思うほど
たくさんたくさん抱いてくれました
そのおかげで会陰裂傷もこれ以上悪化する
ことなく乗り越えられたと思うし、母が
帰ってから1人で昼間にどうすればいいかを
余裕がある中でシュミレーションしたり
出来たので帰った後もスムーズに対応する
ことが出来て本当に良かったです
それでもやはりどうしようもない時に
「ちょっと頼むわ」って息子を渡せる人が
いないってのはキツイですけどね
出生届も入院中旦那に出してきてもらう予定
だったけどGWになったので役所休みで
GW明けは旦那が多忙で役所に行く時間が
なかったのですが母がいてくれたので母に
息子を任せて私が出しに行けました
前にも書きましたがそうやって手伝って
くれた母はもちろんのこと、その3週間の間
実家で1人で仕事と家事をやってくれた父、
そしてその父を気にかけて食事を作って
届けたり食事に誘ってくれた姉
私を母が支え、母を父が支え、父を姉が支え
息子を産み育てることが出来ました
また夏頃にそっちに息子を連れて行くね
そして母がいる時に母の日があったのですが
どこにも出かけられないので旦那が母の好物
で釜飯が好きと聞いてたようでランチに
釜飯のデリバリーを頼みました
前から気にはなってたんだけど頼んだのは
今回が初めてでした
こんなことしか出来ませんでしたがこれでも
何かしら出来ただけでも良かった
少しは喜んでもらえてたらいいけど
そして遂に旦那と私と息子と大型老犬の
生活がスタートするのでありました