マインド・サポーターのまあこです。
「憧れの人」や、
「こうなりたい」っていう理想、
「こうだったらいいな✨」っていう最高の状況
ってありますか??
「憧れの人」も、
「こうなりたい」って理想も、
「こうだったらいいな✨」っていう最高の状況も、
いいな♥と思えば思うほど、
そうなりたいと思えば思うほど、
そうなりたい(その人みたいになりたい)を目指して頑張ったり、
憧れの人や目指す理想や状況に近づこうと頑張ったり、
既に実現している人の真似してみること
ってありますね('ω')
でも、現実は中々思うようにならなくて💦
落ち込んだり、悩んだり、迷ったり・・・・・
どうしていいのか分からなくなってしまう、
ということも、残念ながらあるもの(´□`。)
どうしてどうして??上手く行かないのは何故なの!?
何が悪いの!?自分がダメなの??
って思って自分を責めたり、
出来ていない(そうなっていない)とこ探し
をしてしまう、ということもありがちな話です・・・(´д`lll)
「憧れ」も「理想」も「最高を目指すこと」も、
大事なことです。
むしろ、こうなりたいって姿や状況を描いていかないと、
ついついいつもと同じ日常の繰り返しで、
何となくでダラダラ過ごしてしまいかねない
というところもあるので。
でも、憧れの人の劣化コピーや
理想や最高に縛られ過ぎる必要は全くないんです(`・ω・´)ゞ
どう足掻いたって、自分は自分以外の存在になれないものだから。
憧れや理想、最高と思うもの、
目標やこう在りたい、をもってモチベーションをあげていくのは、
とても大切ですが、それらを上手に活用するには、
「どんな憧れも理想も、
最高と思うものも、
自分の方向性のために使う」
ことなのではないか、と思います。
好きでいて、こうなりたいの見本にしてもいいけれど、
そこでとどまらず、
どういう部分で憧れて、どうなっていきたいのか、の判断材料にしていく
叶わないとか自分と比べて落ち込むためじゃない。
その人そのもになろうとすると、劣化コピーになってしまう。
理想や最高に縛られ過ぎると、それを実現できていない自分がダメに思える。
本来比べようのないものを比べると、落ち込むものです。
それぞれが違うテーマに取り組んでいます。
妬ましい時は、どこか勘違いしてるのです。
自分の能力や価値を下げて見ていたり、
自分らしさを忘れてしまっていたり、
自分らしくないことをしてしまっているだけなのです。
本来の願いとしての「こう在りたい」に気づいていくと、
大きく変化したりします。
大概、こうなりたいけどこうなれない羨ましさの奥に、
もっと別の望みがあるのです。
誰かを羨んで自己評価下げてもいいことはない。
憧れをもつのは同じになるためではなく、
自分がいいと思ったもを、自分らしく表現していく為に利用するもの。
比べると卑屈になってしまうのです。
どうあがいても、自分は自分以外にはなれないのに、
他の誰かや何かになろうとすると歪んでしまう。
憧れや理想、最高から受け取ったものをどう表現していくか???
が、自分らしさの表現の元となるのです\(^o^)/
私も、自分が不器用だから、
器用な人が羨ましかったし、
容姿のコンプレックスが強かったから、
綺麗な人が羨ましかったです。
自分に出来ないことを実現している人に憧れはあっても、
どうせ自分は・・・・・といっぱい思いました。
妬んでも仕方がないと思いつつ、羨ましい・妬ましいということもo(TωT )
どうしても羨んだり、妬んだりしている時は、
無理に前向きにならなくてもいいから、
とことんその感情を感じきってみるものありだと思います。
むしろ、ダメだって思って抑えると、余計に苦しくなるものだから。
落ちるだけ落ちたら、後は上がるしかないから、
とことん感じきって、とことん行くとこまで行ったら、
後は上がっていきましょ(^^)🎶
憧れや理想、最高と思うものは心地よい形で
利用していきたいものですね(^ム^)
「憧れの人」や、
「こうなりたい」っていう理想、
「こうだったらいいな✨」っていう最高の状況
ってありますか??
「憧れの人」も、
「こうなりたい」って理想も、
「こうだったらいいな✨」っていう最高の状況も、
いいな♥と思えば思うほど、
そうなりたいと思えば思うほど、
そうなりたい(その人みたいになりたい)を目指して頑張ったり、
憧れの人や目指す理想や状況に近づこうと頑張ったり、
既に実現している人の真似してみること
ってありますね('ω')
でも、現実は中々思うようにならなくて💦
落ち込んだり、悩んだり、迷ったり・・・・・
どうしていいのか分からなくなってしまう、
ということも、残念ながらあるもの(´□`。)
どうしてどうして??上手く行かないのは何故なの!?
何が悪いの!?自分がダメなの??
って思って自分を責めたり、
出来ていない(そうなっていない)とこ探し
をしてしまう、ということもありがちな話です・・・(´д`lll)
「憧れ」も「理想」も「最高を目指すこと」も、
大事なことです。
むしろ、こうなりたいって姿や状況を描いていかないと、
ついついいつもと同じ日常の繰り返しで、
何となくでダラダラ過ごしてしまいかねない
というところもあるので。
でも、憧れの人の劣化コピーや
理想や最高に縛られ過ぎる必要は全くないんです(`・ω・´)ゞ
どう足掻いたって、自分は自分以外の存在になれないものだから。
憧れや理想、最高と思うもの、
目標やこう在りたい、をもってモチベーションをあげていくのは、
とても大切ですが、それらを上手に活用するには、
「どんな憧れも理想も、
最高と思うものも、
自分の方向性のために使う」
ことなのではないか、と思います。
好きでいて、こうなりたいの見本にしてもいいけれど、
そこでとどまらず、
どういう部分で憧れて、どうなっていきたいのか、の判断材料にしていく
叶わないとか自分と比べて落ち込むためじゃない。
その人そのもになろうとすると、劣化コピーになってしまう。
理想や最高に縛られ過ぎると、それを実現できていない自分がダメに思える。
本来比べようのないものを比べると、落ち込むものです。
それぞれが違うテーマに取り組んでいます。
妬ましい時は、どこか勘違いしてるのです。
自分の能力や価値を下げて見ていたり、
自分らしさを忘れてしまっていたり、
自分らしくないことをしてしまっているだけなのです。
本来の願いとしての「こう在りたい」に気づいていくと、
大きく変化したりします。
大概、こうなりたいけどこうなれない羨ましさの奥に、
もっと別の望みがあるのです。
誰かを羨んで自己評価下げてもいいことはない。
憧れをもつのは同じになるためではなく、
自分がいいと思ったもを、自分らしく表現していく為に利用するもの。
比べると卑屈になってしまうのです。
どうあがいても、自分は自分以外にはなれないのに、
他の誰かや何かになろうとすると歪んでしまう。
憧れや理想、最高から受け取ったものをどう表現していくか???
が、自分らしさの表現の元となるのです\(^o^)/
私も、自分が不器用だから、
器用な人が羨ましかったし、
容姿のコンプレックスが強かったから、
綺麗な人が羨ましかったです。
自分に出来ないことを実現している人に憧れはあっても、
どうせ自分は・・・・・といっぱい思いました。
妬んでも仕方がないと思いつつ、羨ましい・妬ましいということもo(TωT )
どうしても羨んだり、妬んだりしている時は、
無理に前向きにならなくてもいいから、
とことんその感情を感じきってみるものありだと思います。
むしろ、ダメだって思って抑えると、余計に苦しくなるものだから。
落ちるだけ落ちたら、後は上がるしかないから、
とことん感じきって、とことん行くとこまで行ったら、
後は上がっていきましょ(^^)🎶
憧れや理想、最高と思うものは心地よい形で
利用していきたいものですね(^ム^)