報道盲従型民主主義 | 橘 白扇 のひとりごと

報道盲従型民主主義

西松建設事件の報道により、民主党の小沢一郎代表は、代表辞任を


余儀なくされ、新しい代表が選出された。




翻って考察するに、小沢一郎氏は逮捕、検挙、送検、起訴、有罪判決


のいずれも受けてはいない。


辞任の原因は報道が、訳のわからない説明責任なるなんとも中身の


しれないものを要求し、説明責任が果たされていないと追及したことに


よるとしか言いようがない。


その際、マスコミが問題となった政治資金規正法を詳しく解説する報道


をしたかといえば、そうでは無い。ただ声高に説明責任と連呼したに過ぎ


ない。



何らかの行為を行なったものは、その行為について説明することは可能


であるが、行為を行わなかったものは、説明を求められても果たして


聞き手の満足を得られる説明が可能なものであろうか。




卑近な例をとれば、痴漢を疑われても、痴漢行為をしていないものが


その事実を説明、証明するには、痴漢が事実を告知するより、遥かに


困難なのである。




マスコミは正義を振りかざし、全ての国民を代表するかの如くであるが、


例えば、小泉政権下の衆議院選挙で自民党が大勝したのも、麻生政権が


首相の失言、誤読がもとで急激に支持率をさげたのも、全てその報道を


真実として理解し、疑うことのない国民の存在抜きには、かんがえられない


ものである。




これを報道盲従型民主主義と呼ぶ。