商品と製品、投資と投機 | 橘 白扇 のひとりごと

商品と製品、投資と投機

日本語の曖昧さによって、商品と製品、投資と投機は同義語のように


使用されている。



商品は、経済活動において生産・流通・交換される物財の事とされる。


具体的な形状を持つ物と、荷物の配達や、法律相談といったサービス、


証券などの権利、情報など広い範囲にわたる概念である。


これに対して製品は、主として工業において原材料を加工して作成された


完成品のことを言い、具体的な形状を有することがその本来の特徴である。



しかし、サービスをも製品と解釈する誤った見解も散見されるようになっている。


サービースは商品ではあっても、製品では無い。


金融商品ではありえても、金融製品ではありえないのである。



同様に投資と投機もその定義づけを明確にしないまま論議されている現状を


放置したままでは、日本をギャンブル国家へと推し進める結果を招来することとなる。



貯蓄から投資へという、いわば標語で使用されている投資は、本来の意味での


投資でなければならないのである。



投資とは、主に経済において、将来的に資本を増加させるために現在の資本を投下


する活動と定義される。招来への資本投下という点では教育投資と同様の側面を持つ。


金融における投資は、投下したお金が経済活動に使用されることにより獲得される


利益を資金提供の見返りとして受け取ることである。端的に言えば、貸し付けた資金


を利息とともに返済してもらう、株式に投下した資金には、配当金を受け取るといった


活動が、投資活動なのである。



これに対して投機とは、短期的な価格変動によって利益を挙げることを目的とする


行為である。株式、先物商品、不動産、通貨、債券、市場作成が容易で、相場が


変動するものであれば、投機の対象とされる範囲は大きい。



株式投資は、その対象とされる企業の内容を知らなければ本来成り立たないが、


株式投機は、価格変動の可能性さえあれば、取引の対象足りうるのである。



マネーゲームという言葉は、この投機のギャンブル性を、一面で現し、多面で


覆い隠す役割をも果たしている。




健全な投資は必要だが、投機的な色彩を払拭することは容易では無い。



投資の皮をかぶった投機、安全を擬製する金融商品、よほど気を付けないと


危機は何度もオ訪れる。